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2F/当番ノート

その街とわたし【大阪・天王寺】

第41期(2018年10月-11月)

東京生まれ東京育ちということが、ずっとコンプレックスだった。

こんなことを書くと、何を贅沢な、と思う人もいるかもしれない。でも実際にそうなのだ。
わたしが2歳から23歳までを過ごした家は、東京のなかでは郊外に当たる町田にあったということも、多少は影響しているだろう。書評家をしているわたしの友人が、かつてこう言ったことがある。
「世の中には、田舎に縛られている田舎者と、田舎を捨てて根を持たなくなった田舎者しか存在しない」
辛辣だけど真理だ、とわたしは思った。そして東京は後者が幅を利かせていて、日本のほとんどの人は前者なのに、東京にいる人達はわたしを含め、そのことを意識的にか無意識的にか、見ないようにしていると感じた。

大阪に通いはじめたのはちょうど10年前、24歳の頃だった。大学の恩師に、大阪でユニークな活動をしている女性に引き合わされたことがきっかけだった。
彼女は詩人で、日本最大のドヤ街である釜ヶ崎という地域でカフェを開き、「喫茶店のふり」と称して日雇い労働者のおっちゃんたちに関わるということをしている。彼女に出会った当時のわたしは、大学の法学部を1年留年していて、何か社会福祉的な仕事に就きたいと考えていたのだけれど、専門家と「支援される人」のあいだに揺るがない上下関係が存在するような制度にそもそも疑問があって、この先どうしたらいいだろうといささか途方に暮れていた。「非専門家のプロ」を名乗って社会的貧困の問題に関わり続ける彼女の活動は、そんなわたしをたちまちに魅了した。
彼女のカフェ(今はゲストハウスになっている)に行くなら、新今宮という駅で降りるのがいちばんよいが、初めて東京から行ったときにはあまりよく分かっていなくて、やはり徒歩圏内の駅である天王寺で下りた。天王寺はそういう意味で、わたしにとって「大阪の玄関」のような場所でもある。

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釜ヶ崎には、さまざまな地域からさまざまな人が訪れる。なかには事情を抱えている人もいる。日雇い労働者のまちであるということは、流れてやってくる人が多いまちということでもある。
かつて、社会学者の栗原彬さんが釜ヶ崎で講演をするのを聞いたことがあるのだが、そのときに栗原さんは、イヴァン・イリイチを引いて「ホーム」ということを仰有っていた。生まれ育ったふるさとでなくても、帰るべき場所として、いつも心の中に存在する場所。それをホームとよぶのだと言う。
ふるさとのないわたしにも、「ホーム」は見つけられるかもしれない。栗原さんの言葉を聞いて、わたしは少し期待のこもった気持ちでそう考えた。

何度も大阪に通ううちに少しずつ分かってきたことがあって、それは、大阪と東京では人を助けるということ、他人の力になるということのイメージが、根本的にちょっと質が違うのではないかということだ。
よく、東京の人は冷たい、などと言ったりするけれど、大阪の人は本当に気軽に知らない人に話しかける。ひとりで外食をしているときに「あんたの食べてるそれ、旨そうやなぁ、なんて言うん?」と隣の人に突然聞かれ、こちらがいささか呆気にとられているうちに、とても嬉しそうな様子で同じものを注文されたりしたことも、一度や二度ではない。
そのことと、わたしが魅了されたような「支援」のありかたが大阪で成立していたことは、無関係ではないと思うのだ。

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10年間、ずっとそれがどういうことなのかを考えていた。
東京を出るきっかけになった恋人は、近畿圏の被差別部落の生まれで、あまり部落差別について明るくなかったわたしは、色々とショックな話を聞くこともあった。
大阪にも、被差別部落が存在する。貧困層の多い地域も、大阪はかなり明白に、区や町の単位で分かれている。
そういうことと、フラットな「支援」が近畿圏に存在することが、わたしのなかではなかなか結びつかなかった。

天王寺は、JRや大阪メトロの複数の路線が交差するところにある。連載の第3回でも少し触れた通り、ここから谷町線に沿って谷町九丁目までの界隈は、大阪のなかでも特に寺院が密集した地域となっている。
第2回で梅田を扱ったとき、大阪は商人のまちだ、と書いた。1つ付け加えるなら、寺院の存在感も、大阪の精神を特徴づけている部分があると感じる(もっとも、これは大阪に限らず、近畿圏全体に言えることだとも思う)。
東京から京都、そして大阪に来て何よりも驚いたのは、宗教的なもの、施設も、季節の催しもそうなのだけれど、そういうものへの圧倒的な抵抗の少なさだ。大阪出身の作家である柴崎友香さんの『わたしがいなかった街で』という小説に、やはりこのエリアに位置する一心寺というお寺に墓参りに行くシーンがある。墓参りといっても、何々家の墓、というものではなくて、遺骨を砕いて固めた仏像なのだという。そんなふうに、ある種「個人」の枠を超えた霊的なものに触れることが、極めて日常的な風景として描かれている。

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同じ場所に住むこと、居合わせること。そういう、いわゆる「地縁」とよばれるようなものの力と、檀家制度に象徴される「家」的なものの力が、大阪ではやはり強い。大阪では、と言うよりも、日本の多くの地域はきっとそうなのだろうと思う。わたしは血や地に縛られることのない東京に生まれて、ずっと、より確からしいものを持っている別の地域と、そこに住む人々に憧れていた。

京都に住み、大阪に移り、その力の素晴らしさも息苦しさも、どちらも理解できるようになった。そしてわたしは以前よりも東京が好きになり、今では東京を「ふるさと」であり「ホーム」だと、はっきり思っている。
大阪に住まなかったら、そんなふうに自分の輪郭を知ることはきっとできなかっただろう。お互いに性格が全然違うけれどもそこが面白い、と思えるお友達と、それでもやっぱり別の生き方を選んでしまうような、少しだけ淋しくせつない気持ちで、来年の1月末に東京に帰る準備を進めている。

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汐月 陽子

汐月 陽子

フリーランスで企画や執筆のお仕事をしています。「書肆アルケス」の屋号で批評を名乗らない批評の同人誌を作ったり、観光プロデューサーの陸奥賢さんと「ゲニウス・ロキ探偵社」なるユニットで、まちの歴史と物語をさぐる「創造観光」という活動にいそしんだりもしています。20代はソーシャルデザインに期待をかけていたので、30代はもっと、自分を含めたあらゆるひとの個人的な営みを丁寧に触れるようになりたい。

Reviewed by
ぬかづき

産まれた場所は自分の意思とは無関係にひとつだし、本籍地なんかも簡単に変えることはできないけれど、「ふるさと」は自分で決めることができるのだ。学生時代を過ごした思い出の街、仕事や人間関係に悩んで引っ越しを繰り返したいくつもの街、縁もゆかりもなかったけれど、なぜか居心地が良くて長く棲み着いてしまった街、などなど。そうしたいくつもの街を、性質の違う自分の「ふるさと」に認定してしまって、それらの場所で過ごした昔のことや、今の変容のありさまを、遠きにありて思うことで、ちょっとだけ、人生が楽しくなる。

そうしたいくつもの「ふるさと」を通り抜けていくことで、あるときハッと、自分が今いるべき場所に気づくこともある。汐月さん、おかえりなさい。そして、いってらっしゃい。

------町田とわたし (レビューワー) ------
何を隠そう、私も成人までの時期を町田で暮らした。町田市は東京都に含まれてはいるけれど、都心まで出るのに45分くらい電車に乗る必要があるし (そしてその電車が殺人的に混むのであった)、ちょっと栄えている駅前を抜けると、どこも同じような面構えをした住宅地や団地が、多摩丘陵の坂道がちの土地に延々と続いていく。

利便性や子育て世代の暮らしやすさという点では申し分ない土地かもしれないけれど、ヒトやモノや風土にはこれといった個性がなく、郷土愛みたいなものも私の中には存在しない。地方や下町出身の友人が自分の産まれ育った「ふるさと」について語る際、無意識ににじみでてくる熱や愛情のようなものを、私はこの街に対して感じることもない。

でもまあ、それは良いとか悪いとかの問題ではなくて、そういうものなのだ。どこか特定の土地に縛られていないから、私たちは、自分の気に入った土地をいくらでも「ふるさと」に認定して、どこにでも移っていけるのだ。

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