2019年9月30日(月)プレジャー・アイランドはつくらない!

第46期

cover

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの長編アニメーション映画『ピノキオ』に、プレジャー・アイランドという遊園地で好き勝手に遊びまくった子どもたちが人身売買にあう場面がある。しかも、どういう訳かロバにされてしまうのだ。子どもが「ママの元に帰りたい」と泣き叫ぶなか蹴飛ばされ、ピノキオと行動を共にしていたランプウィックが「ママーー!!」と絶叫しながらロバに姿を変えるシーンは、未だにわたしのトラウマだ。

ロバになってしまったひとりひとりの背景やその後をよく考える。ロバとして売り飛ばされた子どもは、好奇心いっぱいに、(悪ガキだったかもしれないけれど)無邪気になんの疑いもなく遊園地に来ただけなのに。あんまりじゃあないか。それに、プレジャー・アイランドで子どもたちの行動を促したのは、その世界をつくったのは、だれだったんだろう。

*

わたしから見た「子ども」は、いつだって好奇心の塊で、目の前に在るものを怖いほど純粋に“見えるまま”に捉えている。好きか嫌いかを判断するのは一瞬だ。だから、ほんの数年前まで無邪気な子どもたちの存在そのものが恐怖だったし、疎ましかった(そういうのって伝わるのだろう、よく子どもに嫌われた)。

わが子や地域・社会で関わる子どもたちと接していると、彼らは、彼らの視線で、世界を真っ直ぐに捉えている。だからなのかな、ときどき、子どもたちの言動は大人の世界を反映していると感じる。

もう一度書くけど、プレジャー・アイランドで子どもたちの行動を促したのは、そして、その世界をつくったのはだれだったんだろう。

残念だけどトゲトゲした言葉や悲しい出来事を目の当たりにする日やわたしの中から怒りや嫉妬といった感情が生まれることもまだまだある。それは、認めなければいけない。

だけど、前よりは少しだけ、子どもたちの目に映る世界がやさしくて楽しいモノであってほしいと願うようにはなった。
俺は、プレジャー・アイランドなんて、つくらねえぞ。

無力だなあって思う日ばかりだけれど、言葉を選ぶことはわたしにもできるし、わたしの自身ならいつだって変わることができる。なんて。そんなことを思っている。

0930