3. ぎりぎりだった私へ 強い私たちへ

第47期

先週、白川通のちょっと裏にある雑貨屋さんに立ち寄ってみた。明るい座敷に仔猫がいて、猫好きな私は思わずお店の方に声をかけた。
ケージから出たそうにしてニャーニャー鳴いている。
何か月ですか、と聞いてみたら、「生後4か月で、引き取って来て3週間なんです」と教えてくれた。

そしたら急に涙が溢れてきてしまった。自分で驚いて、とっさに息を詰めて涙を堪えた。
すごい元気そうな仔猫だし、とても大切にされていることが伝わってきたから、その仔猫がかわいそうとかいうような涙じゃなかった。
何の涙だったかすぐにわからなくて、こころに問いながら、ケージから出て部屋中を駆け回るその子猫としばらく遊んだ。
                                                                                                                                                                                                                                                                                        私は、誠と出会ってすぐ、一緒に暮らすことになった。
入院を挟んで3年目の大学院生の誠と、大学3回生になる私。

ふわふわと、世界と交われないでいた私に、毎日早く帰りたいとおもえる居場所ができた。

誠にはウールリッヒ型筋ジストロフィーという、筋肉や呼吸筋が少しずつ硬くなっていく先天性の難病があった。
中学2年から車いす生活になって、大学院に入ったころに、寝るときに呼吸器を付けるようになった。
子どものころから介護が必要だったから、いつもお母さんが横について2人3脚で生きてきた。
大学に入って、障害者運動を何十年もバリバリにやってきた脳性麻痺のⅯさんとその学生介護者と出会った。誠は彼らに牽引されて、介護グループというのを作っていくことになった。
実家の尼崎から大阪まで、毎日お母さんが車で送り迎えすることにも無理が出てきていたから。
親元をはなれて、学生寮で介護者との「一人暮らし」を始めることになった。

そんなガッチリとした、すでに7年も続いていた介護者との生活に、私は入っていくことになった。
どうやって2人きりの時間を確保するのかとか、いろんな場面で、私と介護者の介護の分担についてとか、いろんなハレーションがあるたびに誠や介護者と真剣に話し合った。
だんだん私と誠は、いつも2人セット、みたいになっていった。

大学を卒業して、私も社会人になった。
誠は書道家として、私は障害者福祉のソーシャルワーカーとしての仕事も忙しくなってきた。
誠と、一緒に毎日を暮らす時間が積み重なっていく。
忙しくても、入院してても、だいたい毎日一緒に夕食を食べて、その日のことやくだらない事をたくさん話しした。

私の中に、社会人、彼女、介護者、家族という名前や役割が増えていった。

誠の母は、私のことを今でも「彼女、」と呼ぶ。もう習慣になってしまったという事もあると思う。私も「おばちゃん、」と呼ぶ。
誠を産むまで大阪のとても大きな会社でキャリアウーマンをして、共働きだったおばちゃん。
何も知らない「イモちゃん」の私に料理も洗濯も、床の隅っこの掃除から換気扇のフィルターの奥の掃除まで教えてくれた。何かと用事があって、月に何度かは実家にいったり、おばちゃんが家に来たりした。おばちゃんは誠を育てること、お姑さんとの関係にとても苦労してきた。でも立派に誠を育てた。二人きりになると、母の話を聴くように、朝方になっても話を聴いた。
時々デパートにも一緒に行って、娘のように服を買ってくれた。
私は自分の母と祖母の関係が重なるように、その窮屈さに悩んできた。半面、結婚も入籍もせずに同棲を続ける私たちの関係を認めてくれて、社会に位置付けてくれるよな気持ちもした。おばちゃんが誰かに私を「息子のヨメさんや」と説明するとき、私の中で嫌だと思う気持ちと、ちょっと認められて居心地のいいような気持とがあった。

私も誠も、一応人権問題をかじっていたから、女の私が家事をするというような前提は無くて、家事の分担とか、私たちは結婚するのかどうかとか、避妊についてとか、たくさん話し合った。
私と誠がフェアであれるように、誠が障害者やからということをハンデにすることもなく。
結婚すると女性側が男性の家庭に入ると表現されるような現状がある中で、私たちの自由を保つ為に入籍はしないということも一致していた。
どっちかが不公平感を感じることがあったら、喧嘩になることもあったけど、話をした。これは私たちまあまあえらいって誇りに思っている。

でも私の中に、「女」という役割ができていった。いろんな物語によって私の中に取り込まれた、窮屈で、表向きより古い、「女」。
おばちゃんが言うことを素直に聞かなければいけない。いい彼女でいなければならない。ちゃんと家事ができなければいけない。床の隅に埃を溜めたらいけない。誠を苦労して育ててきたおばちゃんにも恥ずかしくないように、しっかりしなければいけない。おばちゃんみたいに、女がしっかりしなければいけない。

介護者、家族という役割もあった。
入退院を繰り返すから、医師や看護師とも大体顔なじみになって、パートナーとしての私を結構尊重してくれる。診察や大切な説明もいつも一緒に聴くことが出来た。
誠もいつも主治医と上手に話して信頼関係を作っていったし、看護師さんともちょいちょい仲良くなりすぎるくらいに、好かれていた。
私は、誠に付き添うこと、そして自分の仕事を通して、いまだに医療・福祉の世界にうっすらと漂う「家族さんはきちんと介護ができるべき」という空気によく出会った。それがすごい嫌いだった。現場で交わされる、家族を思いやるようでいて、どっか外野から介護力をジャッジするようなやりとり
。家族だけで人を一人介護することに無理があることは自分が一番、身に染みてわかっている。でも私も仕事でそんなことを口にしたり、自分自身にもそんな嫌な考え方を向けてしまう。
障害者の彼女やからって大変そうに見られてはいけない。だからいっつもお買い物にいくような恰好で病院に行った。しんどいっていうのは弱くて、甘えてる。しっかりしなあかん。強くならなければいけない。潰れたら、介護者失格になる。

「無理しないでね」と、心配してかけてくれる言葉に私は、いつもほとんど慰めを感じられないできた。

「いや、無理しな無理やんか、こんなの!」そう思って、何も受け取れないでいた。

そして、歯を食いしばって強く生きてきたおばちゃんや、お母さんや、お医者さんや看護師さんたちや、仕事で関わる人たちから、弱さを責められることが怖かった。

いつも気持ちがぎりぎりで、ちょいちょい仕事も遅刻して、カウンセリングも通って、休みの日はいつも夕方まで起き上がれなくて、どうしたら心が安定するか本を読みまくった。ぜんぜんしんどい事は隠しきれなていなかったのに。

でも、私も、私だけじゃなくておばちゃんも、心細くても歯を食いしばって、無理を生きてきたんだと思う。
無理をしても、強くなって、暮らしを守りたくて、精一杯だった。

私は、誠との暮らしを大切にしたかった。
おばちゃんも、誠を大切に育てたかった。

ほんとうに大切にしたかったのは、それだけ。

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先週、私はあの時仔猫に出会って「私も、ここに来て同じくらいやで。」と唯一の仲間を見つけたような気持になった。
そして正直に、わたしは今、新しい暮らしにもまだ慣れ切らなくって、心細いんだよなと、気づいた。こんなに不意に涙が出るほど。
そして時々不意に顔を出す、誠を失った鋭い悲しみと絡まった感情にも戸惑っている。

でも、こうして言葉にして、気持ちを一つずつほどいていくことは、できるんだなあとおもった。

心細いという事。無理してるな、ということ。

これだけのことを言葉にするのにも、私はとても思い悩んだ。
とても勇気を出して書いてみた。

それに気づいた今だからこそ、こころに手をあてがいながら、ゆっくり戸惑いながら、私の気持ちを、ほどいていきたいとも思う。

誠が居ない世界にものびのび駆け回りたいから。
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