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2F/当番ノート

今日のわたしへ 見えない誠へ

当番ノート 第47期

11月11日の今日は誠の命日だった。無限に流れる過去から未来への時間の中の、全く違う今。2014年11月11日から時間が流れて、2019年11月11日になった。

1回目の11月11日は、職場で一日中事務作業をして過ごした。次は、おばちゃんと小籠包を食べに行った。その次は、四国で個展準備の日だった。搬入を終えて、おばちゃんと露店でご飯を食べた。去年は、おばちゃんと肉を食べに行った。命日がただ過ぎてしまう事がいやだとも感じる。だけど、特別な過ごし方をしようにも、なんだかそれも自分のこころと違う。

誠が亡くなって半月もしないくらいの休日。作家のWさんの個展が行われている、京都の山あいにあるギャラリーを訪ねようと思いたった。

誠が亡くなったのは深夜だったから、私は次の日の昼になってからお世話になっているいろんな方に連絡をとった。いつもおしゃべりなWさんが、短い電話でぽつっと言った言葉が耳に残っていた。
「今、ギャラリーの縁側やねんけど、空が雲ひとつなくて、こんなきれいな空に行ったんかなあ」

京都市内まで高速道路をまっすぐ走って、山の中を越える。それまで街中しか走ったことが無くて、山道はとても新鮮で新しい世界に来たような気持ちになった。

陽当たりのいい小さな集落に茅葺の屋根が並んでいる。紅葉の葉は散りかかっているのに、木々や地面に咲く野花が瑞々しい。山の冷たい空気はピンとして、枯葉や土のいい香りがした。水車のある庭や、川へ続く畑のあぜ道を散歩した。
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その日は、少し雲がかかった薄水色の空がきれいだった。
でも空をみてもなにもわからないな、と思いながら。

展示を見おわって、ギャラリーの下にある囲炉裏端でお茶をいただいた。そこに相席した女性が声をかけてきた。
「こんな山奥まで、おひとりでいらしたんですか」
「どちらからいらしたんですか」

「あ、ひとりです、一人で大阪から車で来ました」
わたしにとって新しい意味を持った、「ひとりです」。
誠が亡くなったことを言葉にする理由はなく、言葉にしたならばちぐはぐになって相手を戸惑わせてしまう。そう思いながら、ごく常識的な返答をした。今でもきっと同じ返事をする。

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生きている事と死んでいる事、ハレとケ、誕生日と命日、生み出すことと失くすこと、見えるものと見えないもの。生まれることは、尊い。誕生も始まりも、明るく喜ばしい。生きていれば目で見て触れることができ、亡くなれば体は土に還り、目に見えることはない。

でも、死は、明るい色でぬりつぶさなければならない、暗く穢らわしいものだろうか。
1人ですかと聞かれた私はちがう言葉を言いたかったとおもう。「ほんとうはひとりじゃなくて、誠が居るんです」

言葉にすることのない言葉。
そしてそのことをこうして文字に打ち、死と誠の存在を想う。

美山の自然がきれいだった。休みのたびに、また知らない自然を見に行った。いろんな渓谷を探して、旅をした。
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初めて見る川の透明さに引き込まれて繰り返し訪れた山の空気は優しかった。
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そこへいくと、何も言い訳をしなくてもいい時間があった。
大自然を形容して「なんにもない」というのは嘘だとおもった。
枯れ木も新芽も入り乱れて、昨日の雨が岩肌から滲みだして海まで注いでいる。
手に届かない滝壺のむこうのから、水が流れてきて手に触れる。

カメラを持って行くのだけれど、ほとんどは写真を撮る気分にもならず、じっと眺める。
死と同じように、言葉に表すことが出来ない、自然。

言葉にしなくてもいいなとも思う。
今日は駅でお花を買って活けてみた。いつもは買わない菊がかわいくて気になった。
ふっと想ってみる。私の空想かもしれないし、それでもいいか、と思う。
でも、誠には、命日にだけ特別におもいだしているわけではないんやで、と言いたい。
わかっとるわ、というだろうと思う。

井川 朋子

井川 朋子

1986年生まれ。ビビでゲラです。3姉妹の長女です。
愛媛県生まれ、香川県育ち。大学から大阪へ。2006年から暮らしたパートナーとの死別を機に、自然を巡ったり、写真を撮ったり、清流沿いに移住を経て、今は京都市の隅っこに暮らしています。
社会福祉士として大阪の小さなNPOなどで障害者福祉分野のソーシャルワークに携わってきました。

私がのびのび、私を生ききることができるように。
繊細ながらも、繊細であってやろうと意気込んでいます。
いつか、そっと泣いたり家出ができる隠れ家を作りたいと思っています。

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