技巧手法は調味料である

長期滞在者

年末に、写真研究家の鳥原学さんが「日本写真史」という上下巻の本を出版されました。幕末維新から2010年代初頭まで、日本に限定した写真の通史を綴るという今までには無かったテキストです。ぜひ皆さんも読んでみて下さい。鳥原さんは、ぼくよりも一回り年上で20年来お世話になっている方なんですが、あるときぼくに、写真以外の趣味を持つことを勧めて下さいました。
料理など特に良い、と言うのです。

先日この出版記念パーティーの際に、その話をしたところ、先輩は、すっかりそんな話は忘れていらっしゃいましたが、自分は麻婆豆腐などが得意であると話していたことを良く覚えています。

高校を卒業してそのまま下宿生活をはじめたので、自分で飯を作るのは苦ではありませんでしたが、以来、意識して自分の食事を作るようになりました。好きが高じて写真の世界に入り、毎日写真のことを考える仕事になってしまい、たしかに三度の食事の支度をするのは、生活のメリハリというか、包丁を持っている時には、写真のことをひととき忘れるというか、とても良い感じでした。

というわけで、日頃趣味らしきものがないぼくにとって、趣味は?と聞かれると「料理」と答えたりすることもあるのです。今でも夜遅くに帰って来て、台所に立って食事を支度をすることは苦になりませんし、朝の通勤途中に今日の晩ご飯のメニューを考えたり、味噌が切れるから買いに行かなきゃなんてことを考えたりしています。

しかし、そんなに大したことをしているわけでもなく、いわば日曜画家的な気晴らし料理であって、例えばクミンシードを使うと、なんだか本格的なカレーっぽい味がするとか、適当な炒め物でも最後にオイスターソースを使うと中華になるとか、その程度のもので、
調味料やスパイスを使って、それっぽい雰囲気を楽しんでいるということなんです。
だから、料理が好きだと言っているけれど、他人をもてなすとか喜ばせようとか、そういうことは一切考えたことがありません。

なぜこんな話をしているのかというと、この年末年始にかけて、調味料による雰囲気を楽しんでいるだけのような写真で、個展を目指したいという人に、立て続けに会ってしまったからであります。
調味料的とは、デジタルカメラの何とかフィルターだの、ネガポジのクロスプロセスだの、ピンホールだの、ちょっと変わった技巧手法による映像効果だけに寄りかかった写真のことで、もちろんその効果を楽しむこと自体は悪くもなんともないのですが、それは、私が料理が好きといっている程度のことなんです。エフェクトを掛けた程度のことで表現したことにはならないし、そのような写真で他人をもてなすことは出来ない、ということです。

調味料も、スパイスもそれだけでは口に入れることは出来ない。調理する素材があってこそのことで、写真家たるもの、何を撮るのか、どこへ行くのか、誰に会うのかが重要で、なんとなく写したものを映像のエフェクトと後付けの言葉で補強するというのはいかがなものかと、今朝自分の弁当を作りながら思ったのでした。