紙のはなし

長期滞在者

2月に入ると、ぼくの仕事場は卒業制作のための額装の仕事でフル稼働になる。この仕事は、応対の件数が多く、点数は少なく、大抵の人がプリントの完成がギリギリ、という感じで、ぼくもこの仕事を始めてもうすぐ20年になるけれど、昔も今も学生のやることはあまり変わらないなぁって思います。

額装をする時にまず一番最初にやることは、お預かりしたプリントの画面サイズを全て計測することです。画面は必ず縦横4四辺全部測ります。天地または左右で2ミリくらいサイズが違っていることが時々あります。デジタルのプリントは、理論上同じ設定であれば、画面のサイズは同じ筈ですが、時々微妙に大きさの違う時があります。
引き延ばしのプリントの場合、この画面サイズが合わないのには、プリントの度ごとに画面サイズを揃えていない、イーゼルマスクの直角が出ていない、ランプハウスの支柱が微妙に傾いているなどの原因が考えられます。

20枚のプリントがどれひとつとして揃っていない時もあります。
自分でプリントしていても、画面サイズに1mmの違いもなく仕上げてくる人もいます。
このサイズでちゃんとプリントしているから先に窓を抜いてもらって大丈夫と言われたのに、念のため測ってみたら、4mmくらいサイズが違う人もいました。
画面の計測というこの上ない地味な作業にも、プリントを作った人それぞれの人柄が良くあらわれているように思います。

20年くらい前に、ラトビア共和国から届いた写真の額装を手伝ったことがあります。
大きな印画紙を暗室で切ったのでしょう。真っすぐに切れていない様々な大きさの紙に、
プリントされていました。ラトビアの風景、友人と思われるポートレートや、暗室の手技を加えた実験的なものや、モンタージュのようなものもありました。
何よりも驚いたのが、どのプリントにも鉛筆で何かメッセージのようなものが書き込まれていたことでした。何が書かれているのかは読めませんでしたが、日本にいるぼくたちに向けてのメッセージのようなものだったかもしれません。
焼きつけの技術はどちらかといえば、へたっぴいでした。自由に使える材料に限りがあって一発焼きに近いのかも、とも思いました。
でも、大きさも焼き付けも不揃いな写真の束は、遠い国の誰かに自分の思いを届けたい、という強い意志を感じました。

1年程前に写真家の鬼海弘雄さんの個展の額装をさせて頂きました。
あの独特のクセのあるトーンがとても魅力的で、楽しく仕事をしていました。
改めて画面に向き合ってみると、右と左で微妙に長さが違っていたり、プリント乾燥中に生じたと思われる白い繊維状の付着物が残っていたり。。モノクロ写真のメソッドを厳格に運用する人なら、許されないようなことかもしれないけれど、ぼくにとっては、そういうやや不完全なプリントの表情も含めて鬼海作品の魅力のひとつじゃないかと思います。
余白の部分には「鬼」という文字をデザインしたエンボスも打たれていて、粋なことが好きな鬼海さんらしい遊び心が一枚のプリントに宿るモノとしての魅力をさらに盛り上げているように思いました。

時々、画面には影響の無い、余白部分の小さな折れや、汚れで焼き直しをしてくる人がいます。
インクジェット紙ですと、何らかの事情で裏面にインク汚れがついてしまったものなどもあると思います。紙を斜めにセットしてしまい、余白の付き方が不均等だから、再プリします、という人もいました。

現存するコンディションの良いものがなければ、余白に書き込みがあったり、原稿用のトレーシングペーパーを剥がしたテープ痕があったり、画面の隅が折れていても、誰も文句を言う人はいません。そういうものをビンテージといって珍重する人びともいます。

一方で妙な細部にこだわったり、全く頓着しなかったり、同じ写真プリントといっても、色々です。

ぼくとしては、焼きの仕上がりに満足していれば、それ以外の部分でいちいち焼き直さなくても良いのに、と思います。