気持ちくらいは置いて帰りたい

長期滞在者

アパートメント20151017

大阪の吹雪大樹さんが主宰しているギャラリーアビィでは、感想カードが備え付けられていて、作家が不在の時や直接話すのが苦手、という人はそこに展覧会を見て思ったことを自由に書いて、会場を後にするというシステムがあります。
先日吹雪さんのツイッターだったと思うけれど、その時に開催していた展覧会の感想カードが、私の予想を遥かに超える膨大な量の紙の塊のようになっている図像を目にして、思わず声を上げてしまいました。

どのような展示をしていたのか分からないのですが、その感想カードの束を見ていると、素敵な写真に出会うチャンスを逃してしまったような、東京と大阪という地理的なハンディはあるけれども、見逃したことが惜しい気がしました。

もちろん、会場をぐるりとまわって、感想を求められても自分の気持ちをすぐに言葉にできないことだってあるし、会場を後にしてからじわじわと
思いがまわり、頭の中で想像が膨らんでくることだってあります。

ぼくが言いたいのは、その場で言葉が出てくるからすごいとか、そういうことではありません。ぼくも、アビィさんの展示にお邪魔した時に、簡単な感想を書き残したことがあります。たった今見たばかりの写真たちの印象を文字に残す難しさはもちろんありますが、若干正確さを欠いたとしても、極端に言えば「なんかいいよね〜」的な半ばヤケクソ風なコメントであったとしても、自分の気持ちをなんらかの形で残して帰りたいと思わせる展覧会ってすごいと思います。何が良かったのかきちんと言葉にできれば良いけれど、そうもいかない時でも、せめて好意的に受け止めていますよ、という気持ちくらいは会場に置いて帰りたい。

その日観た展覧会でそのような気持ちになった時は、壁にならんでいた写真のいくつかは、心の片隅に記憶が残っていくものだと思います。
展覧会に行ったという事実だけで翌日には何を観たのかそのイメージすら忘れてしまうことも時々あります。
ぼくの経験上、良い印象でもそうでない場合でも、努めて何かしらの言葉を残そうと努めながら展覧会を観ると、その時の印象がなかなか消えないように感じています。

写真を含めて様々な表現に触れる醍醐味のひとつに、自分とは異質な感性との出会いがあります。一見よく分からないと感じるものも、何が分からないと感じるのかを考えることによって、おかしな言葉かもしれませんが、「分からないことが分かった」ことにはならないでしょうか。そういうことに自分の時間と頭を使うのは決して無駄なことではないと思うのです。改めて思い返してみると、作家さん同士の会話の中で交わされる「君のこの作品は訳がわからない」というフレーズはどちらかというと、肯定的なニュアンスとして使われていることが多いように思います。

日頃ギャラリーにお越しいただく皆様との会話の中で、○○さんの展示を観てきたとか、あの美術館に行ってきました、という話はよく耳にするのですが、行ったという事実だけで、その感想を耳にする機会は意外と限られています。近頃の東京は大規模なアートイベントが多く、いちどきに沢山の作品に触れる機会が多い、観に行きたいと思う展覧会も数多く、限られた時間の中で、とにかくワッセワッセとあちこちの会場を回るのに精一杯、という方も多いでしょう。だとするならば、これは、と感じられた小規模なギャラリーでの展示に関心を絞り、いくつかの画面に対話を重ねながら、その時の自分の気持ちを会場に置いて帰る。そういう写真表現を味わう愉しみを経験してみてはいかがでしょうか。