わたしの青空

長期滞在者

ばんたん2005大阪と奈良を分ける二上山麓の小さな田舎町がぼくの一人暮らしのスタートでした。部屋は7畳半でグレーのパンチカーペットが引いてあるだけのただの四角い部屋で、北側に腰から上へ半間の窓が1枚。部屋の隅っこには申し訳程度の小さな流し台があってトイレは共同でした。それで家賃15,000円が安いのか高いのかよくわからないのですが、とにかくぼくはここで写真の勉強を始めることになりました。東京湾岸の埋め立て地で、植えた桜の樹が次の年には枯れてしまうような、自然とは無縁の土地で少年時代を過ごしていたので、窓の外から聞こえるカエルの大合唱を生まれて初めて経験しました。とんでもないところに来てしまった、正直そう思いました。
 時々ふっと何もやることのない時間がやってきました。そういう時は開けっ放しの窓からずっと外の景色を眺めていました。北向きの窓は一日中陽がさしこまないかわりに、窓の外に広がる空は、どこまでも青くて、あぁこれが順光というやつだと思いながら、時々あーとか、うーとか意味不明の声を出してみたりするものの、遅々として進まない時計の針を睨みつけながら単に時を持て余していました。
今でも時々あのすべての時間が止まったような日々のことが記憶から蘇ってくることがあります。そして悔やまれるのがその時にぼんやり見ていた空をぼくは写真に撮っていないということです。

すべての人の上に平等に青空は広がっています。忙しくしている人にも、退屈な日々を送っている人にも。それぞれの人の事情によって青空との向き合いかたは変わります。
病院の窓から見ている人もいるし、歩けばカンカンと音がなる鉄の非常階段でモップを干している向こうに広がる空もある。忙しそうにキーボードを叩く名古屋行き「のぞみ」から、青空に浮かぶ富士山の姿に思わずスマホで写真を撮るビジネスマンもいる。
日々の暮らしの中から見える青空が最高だという人もいれば、日常から遠く離れたどこかの海べりの町から見える青空に心をうばわれている人もいる。

今日からぼくのギャラリーで始まった「私の青空展」の作品をゆっくりと見ていると、作家さんそれぞれの日々の有り様が透けて見えます。ぼくの置かれている場所とはまったく違う、それぞれの味わい深い人生の豊かさを少し羨ましく眺めつつ、こんな風に写真を使っている人たちがとても素敵に思えます。