本棚のはなし

長期滞在者

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都心のあるホテルのラウンジの一角とか、大きなタワービルのエントランスに、写真集を含むアートブックがこれでもかと詰め込まれた棚が、空間装飾の一環として使われている場面を時々見かけます。あるホテルのそれは、本の選定から棚に収まる位置に至るまでデザイナーさんが、全部決めているのだそうです。ちょうど新人の従業員研修の場面に出くわして、先輩社員がそういう風に説明をしていました。主に、海外のファッションカメラマンの写真集や、20世紀初頭から中ごろのスタンダードな絵画や彫刻、建築などの作品集などがずらっと並んでいて、中には、美術館の資料室でも行かないと拝めないような貴重なものもあります。ホテルの宿泊客はリクエストがあれば、自室で眺めることができるようです。

書店の写真集コーナーの棚を見ると、売り場の担当者が心から写真集を愛している人がならべたものか、とりあえず話題になっているものをかたっぱしから並べただけという棚か、観察するとすぐにわかります。地域や時代、それぞれの写真の作法の違いによって丁寧に仕分けられた棚に出会ったりすると、その読み込みの地層の厚さに感心します。どこにあっても一冊の本は同じものですが、今まで手が伸びなかったような本と目が合ってしまうことがあります。

一方、今ぼくがキーボードを叩いているすぐ脇の棚に収まっているその背のタイトルを端からずっと追っていくと、もう写真のことばかりで、われながら呆れます。小説や音楽CDなどは、近頃は聴かなくなるとすぐに処分してしまうから、どんどん写真に濃縮された棚になっていく。すでに居住空間の二つの部屋の棚はいっぱいで、年末に仕事場に置きっぱなしになっている今年購入した写真集を車で運び込んだは良いが、自宅でも置き場所がなくて玄関の靴箱の脇に平積みされたままになっています。試しに端からタイトルを追っていくと楢木逸郎「NOMADS」伊藤之一「テツオ」石内都「CLUB & COURTS YOKOSUKA YOKOHAMA」EDWARD WESTON 「DAY BOOKS」佐藤時啓「光ー呼吸」アルス最新写眞大講座ー特殊印画法 鈴木秀ヲ「少年の科學」吉永マサユキ「申し訳ございません」写真家福田勝治展図録 野口里佳「鳥を見る」西武美術館「ハリー・キャラハン」西村陽一郎「ライフ」田中雅夫「写真130年史」・・・と並んでいます。
この雑多な本の羅列を仮に書店でやっても全く魅力を感じないと思われます。古書店だってこんな並べ方はしないと思います。

そもそもこの本の組み合わせには、引越しの時に開いた荷物をそのまま詰め込んだだけであって、その内容もなんら系統だって収集したつもりはなく、話題があるとか、他人から勧められたとかそういうことは一切なく、写真に憧れた青春時代から、同じ時代を生きる写真家に心を寄せ続けてきた今に至るまでの自分と写真との関わりがこういう形になっているだけです。改めて自分の書棚を眺めてみたら、正直すぎるくらい自分の今までのことが出ている。

ぼくのギャラリーにも実はたくさんの「売り物」の写真集がストックされていまして、しかし半ば試合放棄をしたも同然で、年に数回の「出張ルーニィ」などのイベントで販売したり、細々とネットショップの方で紹介するのが精一杯だったところに、うちの一番若いスタッフのKが、ギャラリースペースの空きクールを使って、期間限定の書店を開いてくれました。
彼女のセレクトによって、大きなテーブルに整然と平置きされた本たちは、中には発売後10年以上経過する本もあるのですが、新たに命を吹き込まれ、新しい魅力を放っていました。実際ここ3年間全く動きのなかったある作家さんの写真集がわずか3日の書店もどきで、人の目に触れることになり、頁が開かれ、実際売れていたのですから。

セレクトされた棚に人柄を感じ、訪れた人に知の扉を開けるきっかけを作ることができれば、とうの昔に記憶の片隅にしまいこまれたと思い込んでいたものが、再び価値のあるものとして輝くのだと最近知りました。