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3F/長期滞在者&more

つける つけないの話

長期滞在者

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昨日、ローマから帰ってきた作家さんとエディションの話になった。
一枚のネガなどの原版から理論上無制限に焼き増しができる写真作品は、あらかじめプリントする枚数に制限をかけることによって稀少性を持たせ、作品の価値を高めていこうとする考え方です。「あなたの作品はエディションがない、エディションを振ればもっともっと売れるはずだ、ヨーロッパでも人気のDもAもエディションをつけているじゃない、なんであなたはそうしないの?」
というようなことを、現地のキュレーターに言われたらしい。
その作家さんは、自分の意思でエディションを付けていない。エディションのない作品はオープンエディションと呼ばれていて、意外とそういう販売スタイルを取る作家も少なくない。正確を期すと、実はこのキュレーターが例に出した著名な作家さんはエディションを切っていないのだ。

なぜそれほどまでにエディションに拘るのか?と聞くと、アート作品は資産形成の為に買うことが多いからだという。この作家さんの作品はとても小さいもので、1枚8000〜15000くらいの価格が中心で、その手頃な価格の良い意味での気軽さと、ユニークな作品コンセプト、そしてシリーズごとに入念な試作を重ねて辿り着いたクオリティの高いプリントが合わさって、平たい表現で言えば「コスパ最高!」の作品として、決して少なくない人々の支持を集めてきました。

こういう作品を買うのに、資産価値やら将来の値上がりとかを考えながら作品を選ぶのだろうか?帰国する直前に交わされたやりとりを聞かされて、 このキュレーターは一体誰に向かって話をしているのだろうか、頭おかしいんじゃないかとさえ思いました。

アート作品が財産形成や投機対象になることは否定しません。ぼくが最初に勤めたギャラリーのオーナーは、高い価値をキープできる写真作品に2億円以上投入し、今も良好なコンディションを維持したまま手元に置き続けています。そういうラクジュアリークラスに訴える作品は世の中に出回っている作品のごく一部で、そういうコレクターもほんの一部だと思います。それはそれで良いとして、食事でも洋服でもざまざまな価格帯で質の高い品物やサービスがあるように、アート作品もファストファッションのようなものから、ラグジュアリーなものまで実は色々あるのに、最近思うのは、東京の若い作家さんの中に秘められた成り上がりストーリー的空想の世界観に接するたび、仮想のゴールがあまりにも画一的すぎると感じます。980円のシャツ程度まで降りてこいとは言わないけれど、7千円や1万円のシャツくらいの階層をターゲットにするとかそういう発想でキャリアを形成する作家さんがもっと増えて欲しいと思っています。実際今日のアートギャラリーとしての勝機はそっちのほうが遥かにあると信じています。海外も含め、いろいろな人の手を借り、時間も経費もかけて年間3000万円の作品が売れたとするよりも、なるべくぼくと作家さんのふたりだけで、主に国内だけで5万円以下の作品を中心に500万円売った方が、ギャラリーの経営的にはずっと儲かるんじゃないか、1点200万円の作品が売れるようなお店に仕上げて行く労力であと200万円同じやり方で作品を売る努力をした方が遥かに効率的ではないか、などと近頃は考えています。
最近の僕は去年の暮れに大阪で2万5千円のとても緻密なつくりに息を飲む作品を買い、先月も日本橋のギャラリーで、まるで夢の中に迷い込んだような魅力的なイメージを買い、ギャラリーを訪れるお客様と一緒に楽しんでいます。

話を元に戻すと、エディションをつけるつけないは作家さんの意思のひとつだと思います。分数表記のない新作を見ていると、その向こう側にこの作家さんがどんな人と繋がっていきたいのか、誰に思いを届けていきたいのか、ということも透けて見えるのです。そこに崇高な思いを込めている人もいるのだから、作品を扱うぼくたちは、安易に他人の想いを無視して聖域に土足で踏み入るようなことはしてはならないのです。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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