ホンモノへの理解

長期滞在者

「日本のモノ作り神話なんてとっくに崩壊しているよね」「技術大国日本なんて、もう過去のことだよね」というコトバがしばしば交わされるようになりました。

ぼくなどは「モノつくり神話」という言葉自体「神話」だと思えるリアルな体験もしたことがないのですが、それはともかくとして、冒頭の表現は置かれている立場によってさまざまな意味を包み込んでいるように感じます。そのひとつとして、かつてほど日本の技術力は抜きん出て高度なものではなくなりつつある、ということがあるのだと思います。
その理由は色々あるのでしょうが、ぼくの肌感覚では抜きん出てクオリティーの高いものを人々が求めない雰囲気が充満していることだと思っています。

ずば抜けて良いものよりも、平均的に「そこそこ」良いものであれば十分じゃないか。その代わり良くないモノは絶対に掴みたくない。ある意味これは身勝手な考え方だと思います。

表現の現場に立ち会っている身として、どのようなジャンルであっても、技術を磨き続けることに労を重ね積もらせる人達に囲まれて生きてきましたので、なんだか価値観のスケールの小さな世の中になってきたなぁ、と近頃感じます。

もうひとつは、冒頭のフレーズは世の中を俯瞰して眺めたような言い方で、醒めた他人事のように感じられます。そして、いまの東京の雰囲気をよく表しています。
少なくとも、本当に良いものを必要としているようには感じられない。技術でも、物事の捉え方でも、世の中に対する向き合い方でも、仮に全体のバランスが崩れていびつな形になったとしても、それを凌駕するなにかが突出している作品はそれ自体心を揺さぶられる思いに駆られます。

ぼくたちが対象を良く観察し思いを巡らせながら、ホンモノの表現への理解を深めていくことで、もっと優れた技術や表現が生まれていくものだと信じています。次の世代の人達がホンモノに触れることでその世界に入り、もっと良いものを生み出すことにつながります。かつての日本にあったのは、そういう継承と蓄積だったはずです。「そこそこ」の感性では誰もついてくるわけがありません。万が一にもそんな感性がまかり通るジャンルがあるとすれば、随分と舐められたものだと、当事者は痛感せねばなりません。