遊星歯車

長期滞在者

対象を知ることは、対象の構成要素を知ることなのだろうか?


なにかをじっと見つめるとき、その対象と自分との距離感について考えるようになりました。

物事を見つめると、その構成要素、それらが成り立つ仕組みや理論が見えてきます。それはとても興味深く、自分の持っていたはずの前提条件さえ覆されてしまうことがあります。物事を知るためには欠かせない行動です。しかし、対象に近づきすぎると、自分が「何を見ているか」見失うことがあります。渋滞の原因を探ろうとクルマをバラバラにしても何もわからない、というたとえ話を読んだことがあります。(距離感について考え始めたのは、数学の本を読むようになってからです。数学の世界は奥深く、a=b、b=c、c=c …… と連なっていくと、思いもかけない場所に連れて行かれます。一寸の隙もなく定義すること、それらのつながりをひとつひとつたどっていくことはとても興奮を誘うものです。しかし、ただ細部を見つめているだけでは「風景」が見えてこない、絵のモチーフとなるものが見つからないことに気がついたのです。)






絵を描く人間と、モチーフとは、どのような関係性があるのか。
キリコの作品には若年作品から晩年作品に至るまで、同じモチーフが繰り返し現れます。(ビスケット、マネキン、古代建築、三角定規)その執拗さ、こだわり(あるいはこだわりのなさ)について考えると、描く人間とモチーフとはどのような関係にあるのかがますますわからなくなってきます。絵のモチーフとしての対象に向き合う場合、その表面をなぞるだけでは絵にすることができません。ペン先や筆先の最小単位よりもっと解像度の高い世界、その背後にある論理、裏側、皮を剥いだ内面について理解しておかなくては、絵を描くことができません。では、どんどん解像度を上げ、マクロからミクロの世界に行くことによって、何がわかるのか、構成要素、それらのつながりを理解することに、どんな意味があるのか。すくなくとも、マクロからミクロへ、そしてまたマクロへ帰ってくるという旅路は、対象と観察者の距離感を明確にするもののような気がしています。

自分にとって、絵を描くことはなにを意味するか。それは今まで繰り返し考えてきたことで、答えは幾つかあります。そのひとつは「収集」です。自分の中にある引き出しにキチンと閉まって、必要な時に取り出せるよう整理しておくこと。一度描いたものはそう簡単に忘れないものです。



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今回の収集したモチーフは「遊星歯車」です。

「遊星」は、現在ほとんど使われなくなった言葉ですが、「惑星」と同じ意味です。中心にある歯車が「太陽歯車(sun gear)」、その周りを自転しながら公転しているのが「遊星歯車(planetary gear)」です。

遊星歯車は、構成要素、ミクロの世界ですが、その構造がマクロ的な宇宙と同じであるという入れ子式構造に惹かれます。
そして、名前がなんとも素敵で、そのまま稲垣足穂作品のタイトルにもなりそうで、気に入っています。


さて、これで自分の中の引き出しにひとつの対象が収集されました。

次の対象を見つけるため、またミクロとマクロの世界を行ったり来たりしようと思います。