【10月のヤバい女の子/略奪とヤバい女の子】
⚫︎鬼女 紅葉(紅葉伝説)
欲しいものを力づくで手に入れるというのは、気分爽快だろうか。ほんとうに欲しいものを手にするためならば一点の曇りもなく、はつらつとしていられるだろうか。
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《紅葉伝説》
子供のいない夫婦がいた。ときは承平七年、ところは会津である。ふたりは第六天魔王に祈り、ようやく女の子が生まれた。女の子は呉葉(くれは)と名づけられた。呉葉はうつくしく、頭がよく、琴が上手で、妖術を操ることができた。
年頃になった呉葉に、近所の富豪の息子が恋をした。男はむりやり結婚を進めたがったが、女はそれを不愉快に思い、妖術を使ってこれを回避した。すなわち、不思議な力で自分にそっくりな女の子を作り、分身を嫁がせたのだ。ある日男が庭の蜘蛛の巣をはらうと、彼の妻は蜘蛛の糸でできた雲に乗り、空へ消えていった。あわてて妻の実家へ飛び込むと、そこは空き家になっていた。親子三人はとうに都へ逃亡していたのだった。
親子は京都で商売を始め、呉葉は紅葉と名前を変え琴を教えて暮らした。店は繁盛し、紅葉は噂を聞きつけた源経基の御台所の腰元となった。
うつくしく聡明な少女はみるみる出世し、源経基に愛され、妊娠した。少女はあどけなく(この男を独占したいな)と思い、そして純粋に(この男の正妻が邪魔だな)と思った。そこであどけなく、純粋に、邪魔者を呪うことにした。紅葉の力は強く、呪いの効果はすぐに表れた。御台所は病床に伏せり死のふちを彷徨った。突然原因不明の病気になった妻を心配し、源経基は比叡山に駆け込んだ。比叡山の高僧が紅葉の呪いをつきとめ、彼女は追放された。
紅葉と両親の三人は泣く泣く信州の山奥に流された。戸隠、水無瀬である。紅葉はそこで源経基の子供を生み、村人に都の文化を教えたり、病気を治したり、札を売って生計を立てた。村の住人は都会から来たうつくしく、賢く、やさしい女の子に夢中になり、彼女を貴女と敬った。
村人は優しかったが、紅葉は京都に帰りたかった。村のあちこちに京都にちなんだ地名をつけてもらっても少女の気持ちは慰められなかった。彼女は夜ごと山へ出かけ、水無瀬から遠く離れた村を襲い、都に戻る金を集めるようになる。以前から戸隠を根城にしていた盗賊たちが腹を立ててやってきたのを妖術で返り討ちにし、また可憐な盗賊に惚れ込んだゴロツキどもを仲間にし、紅葉は兵力を増していった。赤き盗賊団の噂は遠く離れた都にも伝わり、誰もが鬼女と恐れるようになった。970年、平維茂が討伐のために派遣される。紅葉は妖術を使って応戦するも敗れ、首をはねられて死んだ。少女は大人になっていた。33歳の秋だった。
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初めて紅葉伝説を読んだとき、私は(ずいぶん変わっているな)と思いました。鬼退治の話なのに鬼が主人公だなんて、勧善懲悪のストーリーにしては荒くれ者の主人公に感情移入しすぎではないか。
物語の中で、紅葉は鬼であり略奪者です。だけど私たちは紅葉の子供時代を知っているし、心の機微も知っている。
彼女は生まれながらにして造形の整った顔、教養、才能、そしてつよい力を持っていた。それを然るべきシーンで使いこなし、自身の理念にひた走ることができた。
それでは彼女の心持ちは明るかっただろうか。
やりたいことがはっきりしていて、それに向かって努力できることは幸福とされますね。しかし、彼女が妖術によって恋(または出世、あるいは人生)のライバルを殺す力を持っていなければ、戸隠の鬼女は生まれなかったと私は思います。それに鬼女が軍勢を率いて都を目指しているという噂を聞かなければ、きっと討伐隊も派遣されなかったろう。
アンドリュー・ロイド・ウェバーのミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』には、ユダがキリストの処刑を前にこう歌い叫びます。「大きなことをしなければこんなにならずにすんだのに。」劇中において、これは親愛なる人への血の叫びです。
やりたいこと、欲しいものが何か分かっている。どうすればそれを手にできるかも知っている。欲望に向かって突き進む体力も、自由にできる時間と金もある。だけど欲しいものに向かって進めば進むほど、誰もが行く手を阻もうとする。紅葉が自分の気持ちに正直になればなるほど、彼女の幸福感は目減りするのです。
なぜみんなが邪魔するのか。それは迷惑だからです。呪われて病気になりたい人はいない。ある夜突然襲われて全財産をぶんどられるなんてまっぴらだ。呪われた正妻の女性にも人生があり、欲しいものがある。盗賊に襲われた村人だって、もう最悪です。絶対に許せない。だからみんな怒りを露わにし、そして彼女を殺してしまった。彼女が悪者だからです。
だけどほんとうに、ほんとうのほんとうに、彼女は完全なる悪なのだろうか。彼女はわざわざ遠方に出かけ、水無瀬の土地に関係のない村を襲った。村人の知らない知識を教え、病気を治した。
これらは少しも紅葉が正義だと説得する理由にならないけれど、荒っぽい盗賊の振る舞いとして、ただ、とてもアンバランスですね。だけど公平に説明できることが、暮らしの中にいくつあるだろう。
私たちは基本的にはいい子だし、日常生活や仕事において、まあ、たぶん、誠実です。でもあの時の決断は、ほんとうに後ろぐらくなかったろうか。自分の理念に真摯であることは、ほんとうに間違いでなかったろうか。
水無瀬という土地はその後、鬼無里(きなさ)村と名前を変えた。これは紅葉伝説が由来だとも、天武天皇の遷都を阻止しようとした鬼が退治されたことが由来だとも言われている。
紅葉の暮らした鬼無里村において紅葉伝説は独自の解釈を交えて伝えられている。ーー彼女は妖術を使わなかった。源経基の正妻を殺そうとしなかった。彼の子供を妊娠したため、御台所にハメられた。盗賊団を結成しなかった。盗賊の仲間は彼女の琴に魅了されて集まってきた。生まれた子供が男児だったため、御台所が討伐の大義名分をでっち上げた。などなど。
また、紅葉伝説は観世小次郎信光の作った「紅葉狩」の影響を受けているという説がある。これは歌川国芳や月岡芳年の絵で有名ですね。「紅葉狩」に紅葉という名の女の子は登場しないけれど、絵ひとつ取っても、鬼の描かれ方はさまざまだ。
ほんとうのことは絶対にだれにも分からないですね。 登場人物の真実は、ストーリー・テラーには分からない。それは「わたしたち」にしか分からないのです。私と私、あるいは私とあなたにしか。たいていの民話において、鬼は圧倒的悪者です。 人を食い、女を攫い、金を奪い、村を荒らす。そして最後に殺される。鬼を倒した者は英雄だ。鬼無里村は現在、長野市に合併されている。
夏休みが終わってしまった。とても楽しかったね。ついこの間までお昼なんかまだ暑くって、蝉だって鳴いているような気がしていたのに、もうどうにもごまかせなくなってしまった。これからどんどん寒くなる、紅葉はその象徴です。
だけど、紅葉は赤い。炎の色だ。 怒りの炎、焦燥の炎、嫉妬の炎、恋の炎、情熱の炎。台所の炎。ライターの炎。どんな炎でも、火は熱い。それは揺るがぬ事実です。大切な手紙を燃やしっちまうかもしれない、真夜中にミルクをあたためようとして指をやけどするかもしれない。それでも、火そのものを悪だと裁くことはできないですね。そして火は燃えている。私はそれをうれしく思います。スリー ・ドッグ・ナイトだってこの胸が赤く燃えていれば、すこしも寒くないのだから。