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2F/当番ノート

Music From Memories 4

当番ノート 第26期

高校1年生のとき。ドイツのインディ・レーベルから出たコンピレーションの日本盤が、なぜか地元の山野楽器に入荷され、何気なく試聴してその場で電流が走った。自分が聴きたかったのはこういう音楽だ!と感激し、その日本盤を出しているレーベルに感想文を送った。その後、いろいろな縁が巡ってそのレーベルオーナーと電話で話す機会が訪れた。当時の自分はもっと色々な音楽を聞きたかったので、インディ系の音楽を扱っているレコード屋をいくつか教えてもらった。姉はオリーヴ少女だったので、自分もよく姉の部屋で隠れてオリーヴを読んでいる、という話をオーナーにしたら、「へぇ~!チェリーボーイだね!」と言われてしまった。

高校はとにかく怖い人が多い場所で、スポーツ推薦の大男たちが部活のストレスを、部活をしていない人間へと向けた。何しろ部活をしていない人間は「パンピー」と一括りに呼ばれ、露骨に下に見られていたのである。YMOの温泉マークを黒板に落書きした頃から目をつけられ、いろいろと面倒な思いをした。移動教室前に更衣室で殴られたりとか…今でも夢に見る。2年になってクラスが選別となり、バンドを始めたりした頃からそうした出来事は無くなったが、やはりその大男たちと接触がありそうな時はひやひやしたし、実際威嚇されたことは何度かあった。学校の威信はスポーツにあったからか、教師はそれらを徹底的に黙殺した。どころか、注意されるのは常に「パンピー」だった。髪の長さだ、服装だ…(大男たちは服装を乱すことは無く、全員短髪だった)。大人は常に彼らの側にあった。だからその大男たちの一部が、5年後に泣き系ソングのユニットとしてメジャーデビューしたときも、さしたる驚きは無かった。

1999年7の月、ノストラダムスよろしく予知夢を見た…当てた内容は吉川ひなのとIZAMの離婚。彼らの「結婚と言う”かわいい”制度を使わない手はない」という発言は、「結婚と言う”かわいい”制度」と「制度を使わない手はない」のどちらに力点を置くかで、ずいぶん見え方が違ってくる。そんなことをずっと考えていたから見た。

知り合った音楽ライターさんとは買った新譜を電話で聴かせあったりして、頻繁に情報交換をしていた。その当時はもちろんインターネットはないので、電話口で耳をよく澄まし、その新譜のレコードを聴いていた。音楽がいつでもどこでも聴けない窮屈さは、音楽に対する思い入れをむしろ深くした。

クラスが一緒になったばかりの竹山くんたちとカラオケに行ったのは仲良くしたかったからではなくどんな人なのか探りを入れたかったからで、そういう人付き合いの仕方から後年痛い目にあうということを当時はまだ知らない。ミッシェル・ガン・エレファントは喉を枯らして歌うもの、というのをふたりで実践し、まあそれなりには意気投合した。中学のときすごいウケたネタなんだけど…と竹山くんは「ドラえもん」のオープニング曲を最後に入れた。モノマネ?替え歌?と期待したがそうではなく、「こんなこといいな、できたらいいな」の部分が終わるあたりで曲をフェイド・アウトし、「こんなこっといいな、でっきないわー」と締めた。
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カジヒデキの2ndアルバムが発売されたとき、風邪をひいていたが、ほとんど治りかけていたので大丈夫だろうと、少し無理して渋谷のHMVまで出掛けた。無事にCDと店頭特典のマグカップを手に入れた。マグカップはアルバムタイトル「TEA」にちなんだものだった。帰り、乗り換えの駅で熱が上がってしまったのか、トイレの前で倒れてしまった。その時、あまりにも気持ち悪くてそのまま死ぬんだと思った。死んでもいいと思ったし、カジヒデキのことなんてどうでもよくなっていた。頬に当たるアスファルトが冷たかった。通りかけの男の人が助けてくれた。なんとかホームに立って電車を待っていたら、売店のドアが突然開き、「あなた大丈夫?ベンチに座ったほうがいいわ」と促された。自殺するのではと勘違いされたのだろうか。

駅のホームは対面式と島式があって自分の行っていた高校の最寄り駅は対面式だった。上りと下り、二つのホームが別個にある形が「対面式」で、斉藤由貴の「卒業」にある「反対のホームに立つ二人/時の電車がいま引き裂いた」という歌詞は、このホームの形でないと再現不可能なのだ。高校時代の目標と言うか夢のひとつに、この歌詞のような切ない状況に置かれてみたいというのがずっとあった。だけど3年の間に「引き裂かれる」ことが出来事となるような、そういう繋がりを誰かと持つことはできなかった。ひとりで引き裂かれていた。高校は地元と都心の間にあった。都内へ進むホームと、地元へ戻るホーム。

今その駅は出勤の通過点となっている。都内に住み地元方面へ出勤しているのだ。実際の出来事は「二方向いずれかの選択」とは限らない。

中島みゆきが「私が男になれたなら 私は女を捨てないわ(藤圭子)」という歌詞を間違って解釈していた、という話をエッセイで読んだ。彼女はこの歌詞を「男に転換しても己の女の部分を捨てない」という風に受け取っていたらしい。中学生の自分は己の中に「男の部分」「女の部分」をあまり認められなかった、故に、中島みゆきの解釈を当たり前のことと思ったのだ。誰でも「男の部分」「女の部分」混ざり合ってるもんじゃん、と。だから彼女の歌を聴いて泣いたりするとき(中3くらいからそういう事が増えた)、歌詞の中の「女」という表現がどうにもしっくりこなかった。と言ってそれをそのまま「男」にして歌うと、ますます違和感は増幅した。

「やはり男はオチンチンなわけです。普段はフニャッとしてても、やる時には大きく、固くなればいい。でも、女の人って、どうなんでしょうか。何なんでしょうねぇ、女の人って…」(95年、月カド・スペシャル・インタビュー「果てしない夢」より / 桜井和寿)

anouta

anouta

友人の集まりから発展し、2012年ごろより年1回ペースで、音楽をテーマとするZINEの作成をしているグループです。主なメンバーは本業が報道職の若山と、本業がデザイナーの宮崎。

Reviewed by
武村貴世子

私にとって90年代とは、つい昨日のことのように思える距離感の近い時代。
もう20年ほども前のことかと意識すると、時間の流れのあっという間さに眩暈のような感覚が戸惑うくらいだ。

あの頃は今よりも発信されるものを、そのままに受け止めていたことをふいに思い出した。

例えば、アーティストの発言はその言葉以上の意味を特に追ってはいなかった。
その発言の前後の心理を想像するようになったのは、自分がこの仕事に付いてからだろう。

どっちが良かったとは全く思わない。
私はその時の楽しさを、今もそのまま受け止めている。

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