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2F/当番ノート

Music From Memories 8

当番ノート 第26期

その彼は1人ユニットだが、3人を表す名前を付けていた。僕はその彼をよく知らないので、それが本名だと思っていた。「大橋鳥夫」と。即座に友人から完全否定された。鳥夫は「大橋トリオ」だったのだ。元々は3人組だったのか?とか、最初から1人でなぜトリオという名前を付けたのか、そもそも由来は何なのか?とか、もちろん調べる気は起こらない。自分はこのまま彼の音楽を聞かずに死んでいくのだろうか。

相川七瀬の「恋心」というPVは映画の「ボニー&クライド」が元ネタになっているらしいが、そんなことより彼女がコンビニで奪ったパンを食べるシーンがなぜか脳裏に焼き付いている。逃走中という状況下で食べるあのパンは「あんパン」だと思っていたが、周りからは「なんで決めつけるんだ!クリームパンかもしれないじゃないか!」と責められてしまった。あの状況で食べるものは「スタンダードでベタなもの」だと決めつけていた。それは刑事ドラマの取り調べでカツ丼が出てくるシーンのように。

学生の頃、卒業イベントと題して音楽好きの友人たちとクラブイベントを開くためにCDJの練習をカラオケボックスでやったが、練習よりも隣から聞こえる歌声が気になって仕方がなかった。その隣の彼は松浦亜弥の「Yeah!めっちゃホリデイ」を原キーのまま全編裏声で歌っていたのだ。壁を伝って聞こえるそのゴーストリーな裏声のおかけでしばらくファルセット・ボーカルが聞けなくなり、レディオヘッドやミューズがより一層嫌いになった。

邦楽は熱心に聞いていなかったので、歌詞が分からなくてもうろ覚えの適当な言葉を当てはめて歌うと、よく友人から訂正された。こんな具合に。
B’zのラヴ・ファントム
「♪見えないカラダ、溶けてしまうほど」
「意味わかんないよ。♪濡れるカラダ〜でしょ。」
プリプリのダイヤモンド
「♪冷たい素足を泉に浸して」
「冷たい泉に!冷たい素足って死んでんじゃん。死体かよ!」
安全地帯のワインレッドの心
「♪今以上 そぉれなり〜」
「今以上 それ以上!!」

3人でお茶をしているとき、「音的にはandymoriみたいな感じなんじゃない?」と、聴いたことがないのに適当に言ってしまい「聴いたことあるの?」「や、実は聞いたことがなくて」「俺もないよ」「私も聞いたことがない」その場にいた3人全員聞いたことがなかった…というような現象が、違う友人たちとの間でもここ数年で3回ほど発生している。結局現在もandymoriがどんな音楽なのか、分かっていない。

texture
フジロック・フェスティバルなどお金がないのでとても行けるはずもなく、仕方ないので同日にカラオケ大会を近所のカラオケボックスで友人と毎年開催している。「はじまりはいつも雨」で幕を開け、ハロプロメドレーに毎年出場の森高千里…と、本場ではなかなか味わえない人選(というか、ただの選曲)が魅力だ。2014年の大トリは氷室京介(というか、自分)が務めた。踏み台があったせいかすっかりモノマネ・モードになってしまい、あの歌い口をなんとか再現しようと急くばかりに歌詞がすべて「ソソレソレ」になってしまった。そのパフォーマンスはその後「伝説のソソレソレライブ」と言われるようになった。

30歳を過ぎてからギター教室に通うとは思わなかった。スタジオ・ミュージシャンが副業で講師をしているような所で、どの先生とも音楽の話がかみ合わず、年を取ってからの勉強は、こちらがうまく「生徒」になれないから辛いのだなと知る。とにかく人前で弾くのが楽しい!という彼らの情熱はいまだかつて自分には無い類のものだったし、自分より若い先生が圧倒的にスキルフルな様はやっぱり「自分は今まで何やっていたんだ」という反省へと繋がった。彼らはほんとうに眩しかった…細野晴臣のコード進行の質問をした筈がいつの間にか速弾きの話となり、「スティーヴ・ヴァイ、ジョー・サトリアーニ、イングウェイ・マルムスティーンでG3という」とまったく知りたくもない情報をメモしてその日も終わった。

「愛し愛されて生きるのさ」は「愛し合って生きるのさ」ということではない、と12年越しに気付いたのが2012年。「くだらないの中に愛が」という歌詞のどこにもくだらなさが見当たらないと腹を立てたのも、確か2012年。

地震直後に七尾旅人がDOMMUNEで歌うのを昨日の事のように思い出す。デスクトップ越しに関わらずぼくは号泣したし、泣いたのは自分だけじゃないことをTLで同時に確認していた。原発も見事に壊れ、先がどうなるかわからない状況で、頼れるものの数は限られていた。「彼が音楽を作ったこと自体が嬉しくなるような。夢は見させてくれないけど、夢の方角を、隣ではっきり指差してくれているような」とつぶやいた。彼のような天才にさえ、そうした、1対1に近い思いで繋がれるというのはたぶん90年代には無かったことだ。同時期の脱原発アクションや署名もそうだったけれど、出来事とは要するに、みんなできることをやっているだけ、なのだった。わからないからみんなでやらないでいるとか、できないことをやっている風に見せるとか、そういうのはやめようと、その年に思った。そこで変わったものが確かにある。唯々できることをやるしかない。

DJ KOOが音楽番組で何を演奏していたのか、中学の時はわからなかった。今ならわかる。さぞ辛かったことだろう。

anouta

anouta

友人の集まりから発展し、2012年ごろより年1回ペースで、音楽をテーマとするZINEの作成をしているグループです。主なメンバーは本業が報道職の若山と、本業がデザイナーの宮崎。

Reviewed by
武村貴世子

私が今回の文章を読んでいて一番心が引きつけられたのはこの一文だ。

「1対1に近い思いで繋がれるというのはたぶん90年代には無かったことだ。」

そう、90年代には無かったこと。
anoutaの連載を読む中で、自分も様々な音楽との思い出がある90年代を振り返ることが多かった。
そして最終回で、現在により近い記憶にふっと結びつくこの一文に出会えた時、
これからanoutaが経験していくであろう音楽と共有する時間は、
どんな物語を描いていくのだろうかと、思いを馳せた。

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