長期滞在者
数年ぶりの引越しがもう数日後に控えているのに、わたしは心の準備がろくにできないままでいる。引越しはたくさんしてきた方だと思うし、わりと慣れっこのはずなんだけれど、今回はあまりにも実感が湧かなすぎて、変な感じがしている。数日後には、数年ぶりの東京。目が覚めたら、もう比叡山が視界に見えないのかとか、電車の車窓から琵琶湖が見えないのかとか、感傷的にはなりたくないのに少し気持ちがしゅんとしてしまう。後ろ…
当番ノート 第25期
始まりがあれば、いつか終わりがやってくる。 3月31日。たくさんの人の何かが終わり、明日から何かしらの新しいが始まる。 出会いと別れ。始まりと終わり。 ニューヨークに来てから、驚くほどこの質問を投げかけられる。 「いつまでここにいるの?」 自分の中に決まった答えを持ち合わせてはいるものの、この質問をされる度に考える。私はいつまでここにいるのだろう。いつまでここにいれるのだろう。外国人として国籍とは…
当番ノート 第25期
新宿駅の東口を抜けて、電光掲示板の大きな画面を横目に見ながら交差点を渡れば、紀伊国屋や三越の古いビルディングが視えてくる。周りは様々な言語を話す人々が行き交い、人いきれと車の排気、舞い上がる塵や埃で喉が噎せた。 私の住んでいた街とは全く違う、現実を生きる街。 私は今年二十歳になった。義理の父と母親が住んでいる街から引越し、今は一人暮らしをしながら美術大学へ通っている。もう誰に気遣う必要もない…
長期滞在者
「帰る」というのは不思議な言葉だな、と思います。例えば宇宙空間から地球上を観察していれば、私たちはただ時に移動し、時に同じところに留まっているだけのように見えるでしょう。そうした無数のストップ&ゴーを、しかし私たちは「どこかに行き、どこかに帰ってくる」と認識します。言葉は多分あまり関係ないですね(「帰る」はおそらく人間に限定されない、動物としての「私たち」が共有する概念と思われます)。長年住み慣れ…
当番ノート 第25期
三重から離れ故郷静岡へ戻り1年あまり。その間ずっと中部地区にある藤枝周辺の瀬戸川流域を軸に撮影をしてきた。高根山の源流から志太平野、駿河湾にそそぐ川は全長約30キロに対して標高差が900メートル近くあるので表情豊かだ。上流には古くて硬い地層があり、むき出しになった岩肌が目立つ。中流域からは堆積した砂岩が多く角がとれ玉砂利状になっていく。石の質がよく水石雑誌で瀬戸川が紹介されるほど。川沿いの集落に1…
ギャラリー・カラバコ
ここはとあるアパートの一角にある、小さなギャラリー「カラバコ」。 白い壁に空っぽの額縁が無造作にならび、その下には題字だけが添えられています。 タイトルだけを頼りに、二人の作家が別々に文と絵を寄せ、2つが合わさった時に初めて作品が完成するのです。 先日オープンしたばかりで、まだ1枠しか埋まっていないのですが、これから段々と増えていくでしょう。 01 桟橋 おや、そうこうしているうちに、今月の絵と文…
当番ノート 第25期
花粉が飛んでいる もちろん黄色い粉が舞っているのを見てとることはできないけれど, ぼーっとする頭が花粉のことを嫌でも認識させる。 ぐずぐずの鼻 散らかった部屋 今夜,彼に会いに行く いつもの電車に乗って,あの駅で降りて,バスロータリーを抜けていく そういう風に思い浮かべていくと,あっという間に彼の部屋の扉に行き着く 彼のことが好きで,あの街も好きになった 私は午前中を,彼のことだけを考えて過ごした…
当番ノート 第25期
インタビューアーの仕事の醍醐味は、相手が考えていなかったことを引き出すことだと思う。「それを聞いてきたのはあなたが初めて」と言ってもらえた瞬間、私の心臓は興奮に踊る。 誰かの話を聞かせてもらうというのは、動いている人にしばしの時間止まってもらう行為でもある。止まってくれたその時間の中で相手が何か新しい、もしくは懐かしい発見をしたり、自分の中に言葉を見つける瞬間だったりに立ち会えると、私はほっとする…
当番ノート 第25期
鈍色の低く垂れ込めた雲から銀の糸が降ってくる。幾筋も注ぐ雨は土を濡らし、青々とした独特の匂いを放った。 「ペトリコール」 僕は知らずのうちにつぶやいていた。雨が降りだして土を叩き始めた頃合いの匂いを、そう呼ぶらしい。 開け放していた窓からは細かく霧のような水滴が吹き込み、真白のカーテンをしっとりと濡らした。書きかけの書類は窓際の机に放置していたため、瞬く間に洋墨が滲んでゆく。 やれやれ、…
当番ノート 第25期
世界中を飛び回り、ダンスを通じて多くの人に笑顔を与えている友人がいる。同じアメリカでも違う土地をベースに暮らす彼女とは、約束せずともタイミングよくいつもどこかで会える。太陽のようなパワーとエネルギーに溢れた彼女は、いつも誰とでもまっすぐ真剣に向き合っている。子供だろうが大人だろうが、彼女はいつも本気だ。無論、私に対しても同様に。先日、ダンスをしているという少年と彼女が話をしていた際、ダンスを突き詰…
当番ノート 第25期
三重に移住して4年目にさしかかり三重でこのまま住むのかそれとも、という思いが巡るようになってきた。それまで穏やかな凪の浜辺にざわざわと波が立ち出すそんな感じがしたのだ。三重のことは取材や生活する中でわかってきたのに故郷の静岡のことって全然知らないし撮影をしたいな。三十路手前の焦りからか純粋に写真のことに取り組みたいと動き出す気持ちを抑えながらデスクに向かっていた。窓先にある梅の枝の蕾をぼんやり眺め…