三重に移住して4年目にさしかかり三重でこのまま住むのかそれとも、という思いが巡るようになってきた。それまで穏やかな凪の浜辺にざわざわと波が立ち出すそんな感じがしたのだ。三重のことは取材や生活する中でわかってきたのに故郷の静岡のことって全然知らないし撮影をしたいな。三十路手前の焦りからか純粋に写真のことに取り組みたいと動き出す気持ちを抑えながらデスクに向かっていた。窓先にある梅の枝の蕾をぼんやり眺めることが多くなった。そんなある日、原稿の整理で過去の取材記事を見直していた。ストックしていた写真のインデックスやメモをめくっていくと取材したケーキ店と女性店主の顔写真。その時の会話が頭によみがえる。
「修行先の厨房で、クリスマスの大量の注文を作業のようにやっている自分にハッとしてね。数が少なくても相手のために思いを込められるケーキを作りたいって。自分の素直な気持ちになれたんです。それから一人で店をと思い、地元の三重に戻って来て物件を探し出したんです」
こじんまりとしたショーケースごしに深々と帽子をかぶった店主がちょっと照れくさそうに話していたが、その目線の先には当時の彼女が見た光景があるように思えた。店頭に並ぶケーキの種類は少ないが味の濃淡の気配りや季節感を生かしたラインナップが好きだ。秋の定番のタルトタタンは、酸味のある林檎にパイ生地の甘さが相まって堪らない。伊勢の外宮近くのお店はひっそりとしていて観光地とは違った地元民に愛されるお店の一つだ。その言葉を思い出し、ぽんと背中を押された気がした。急に今立っている事務所や三重の風景が遠のき過ぎ去っていくように思えた。あ、風向きが変わった。東京で味わった時と同じ感覚だ。ざわついていた波が穏やかになり、くっきりと漕ぎだす自分の姿がみえてきた。それまでめくっていた取材資料をパタリと閉じ、深く息を吐いた。ピンポーン。外からは郵便局員の声がした。あわてて玄関に向かって行き、ドアを開けると白梅の芳しい香りが漂っていた。
稲も茂りあちこちの田んぼからカエルが鳴き交う頃、発行人から「三重を離れるんやったら連載中の『三重ワンダーランド』をまとめてみいひん?こゆきさんが居たという証になると思うんさ、今のシリーズをまとめて出版するまでにはまだ半年以上もあるし」という提案をいただいた。退職を決めてから上司に話してから気まずい雰囲気が続き、互いの会話も尻切れとんぼだったのでこのことが転機となり緊張がほぐれたようにしゃべりはじめ企画が膨らんでいった。本になるというのは予てからの夢であったので学生時のわくわくが再びだ。それまでは、自分がプリントした写真の紙束を製本用の糊でくっつけ、重石を乗せてようやく1冊できたものが、印刷機を通して大量に擦られ県内外に流通していく。制作や発送手配までを全部担えた三重卒業制作となった。
常若の姿勢が息づく伊勢や、その鬼門としての山の朝熊山、参宮前の禊の地二見。太古の風景を留めている熊野、大阪や京都の文化を感じる伊賀。三重県は縦長で隣接する県も多く伊勢神宮へ流れが集中するため異質な風土の摩擦が場所それぞれにある。写真集は県内の11の場所を選び編集構成していった。撮影や言葉を紡ぐ中でその摩擦の音が聞こえるまで待つ。この姿勢が土地との対話であると思えるようになった。
特に伊勢は自身の居住区や事務所のある地で、伊勢神宮の遷宮に携わる祭り事の取材や参加など、肌で感じることが多かった。20年に一度の遷宮、その完成を目前の新正殿へお白石を市民が奉納する行事では一市民として炎天下の中、御敷地に置くお白石を運ぶため法被を着て奉曵車を曳いていった。ハレの日に参加できる喜びも大きいが、猛暑の影響でなかなか酷なものであった。冷静に考えるとただお白石を運ぶと考えたら暑くない時間帯を選んだり、市民それぞれが一つずつ持って奉納したりすればいいが、私を含め参加する人々が何かの大きな力によって突き動かされ石を運んでいたのだ。伊勢市民全体が法被を着ることで仮面のように個を淘汰して、その力の一部として動き出す。人の波に落ちる影、蜃気楼越しの光景に頭がぼーっとしてくるとそんな感覚に陥ったのだ。
御垣内に白石を敷くようになったのは室町時代のこと。明治42年の遷宮より町ごとに団を結成するようになっていった。各団の様子を観察していて、市民の秩序や集団での効率性、新正殿という特別な区域に市民が入ることができる喜びや天照大御神や豊受大神宮が身近に在るという市民の誇りみたいなものが木遣り歌や踊りに組み込まれ、エンターテイメントを含むようになり現在の形になったと推測する。町では「今回のお白石までは生きなあかんな~」というご老人も多く、代々参加している市民にとってはご先祖様と繋がるようなものがありそこからの生命力をもらっているようにも思えた。
この大きな力の延長で私たちは息づいている。その正体がわからないので人は「カミ」と呼んだりしているのではないか。伊勢の地に根付く祭りから感じることであった。
年末に差し掛かり写真集の制作がピークを迎えた。年越しは暗室三昧でオレンジのセーフライト越しに現像液に浸した印画紙に浮かび上がる陰影を眺めていた。ピッピッピッピー。時報の後、新年の挨拶をするアナウンサーの声がラジオから流れていた。色校正を済ませ制作の全工程が終わりふとカレンダーをみると退職まで残り2ヶ月を切っていた。完成した本を手に取った時、コンパクトなサイズだが確かに三重に居たいう証が確かにあった。それからが怒涛で仕事の引き継ぎや出版に合わせた個展のやトークショーの準備などめまぐるしく、2011年の入舎直前とそっくりな展開だったが、4年前にはわけもわからず不安を抱えて飛び乗った時と違う。がらんとした部屋をみながら、三重の風土をたっぷりと含んでいる。歳月に満たされ漕ぎだす船出は、桜の花びらが見送ってくれるようだった。
写真集 三重ワンダーランド http://tayamakoyuki.thebase.in
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