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2F/当番ノート

目を重ねる

当番ノート 第25期

街道取材1

三重県地図を眺めていると道の軸が見えてくる。高速道路に国道、旧街道と時代を重ねても伊勢神宮に吸い寄せられのびているのだ。なんだか磁石に吸い寄せされる砂鉄みたい。
「三重のおへそは神宮にあり!」企画会議の時、発行人の一声で街道歩きの新シリーズがスタートとなった。ご遷宮目前の2012年、来るご遷宮を目標に各街道を健脚女子2人が神宮へ向かって各街道をいく。東海道から派生する伊勢街道に、京・大和方面から続く初瀬街道、那智や熊野三山の表詣道にあたる熊野古道などルートがある。20キロ弱ほどの道のりを1日かけて歩くのだが、途中気になる個人商店や史跡、住民としゃべっているとすぐ時間が経ってドタバタ進む珍道中だった。山登りが得意なライターさんと一緒に私がカメラ担当として約2年間連載した。

街道取材2

載せているのは熊野古道を進む回。(NAGI51号より)熊野の市街地から峠を5つ越える1泊2日の旅だった。晴天に恵まれたものの、数日前には古道にクマが現れるというニュースがあり地元商店の人たちが気をつけてと声をかけて見送ってくれた。途中カンジキと笠を調達し、いざ山道へ。ライターさんが身につけていた熊よけの鈴の音が心強かった。

街道取材3

峠をいくつか越えると森が切れ波田須(はだす)の集落が現れた。快晴の空とエメラルドグリーンの海にびっしり咲く彼岸花とうねる坂に立つ家々。照り返しの強いコンクリートからは蜃気楼が立ち昇っていた。集落全体が桃源郷のような妖艶さを発していた。ライターさんもこの雰囲気を感じてかきょとんとしていていた。坂を下り集落を散策すると不老不死の薬を求め中国からこの地にたどり着いた徐福の伝説が残っていた。もしかしたら上陸を決めた徐福も沖から波田須を見て同じことを抱いたのかもしれない。確信がないが昔と目が重なったように思えた。こんな感じで黙々と歩いていると自分の身体の意識はあるけど空箱のように思えてきて誰かの視線や感情を拾うことが多かった。それが津波碑や大木であったり、地元商店のおじちゃんの会話であったりときっかけは色々だが、文献などの記録として残っていない誰かの生きた記憶の断片のようなものが目下に広がるのだ。歩くのがその記憶を拾うのにちょうど良い速さだったと思う。

記事にならなかったが路上観察をして一人楽しんでいた。集落で流行ったであろう瓦の形や看板の描き方。それがどこまでで威力を伸ばして人気だったのかなど、当時の人になりきったつもりで想像し見比べていくと面白いのだ。
その発見の一つ、和歌山別街道のっぺり石像たち。松阪の粥見から和歌山街道ど分岐し熊野街道の合流地まで約20キロ弱の街道なのだが、取材中薄っぺらい像に何体も出会うのだ。

のっぺりさん1
まずは粥見の山中で出会ったお地蔵さま。

のっぺりさん2
続く山道にあったオブジェも厚みは多少あるもののボリュームが。

のっぺりさん3
粥見より東に進むと朝柄の五箇谷神社にて発見!太刀の持ち方がゆるい。

のっぺりさん3-1

のっぺりさん4-2
さらに行くと丹生大師近くで現れた。背中の捉え方が斬新。

1日の取材で4体もの石像に出会ってしまうと街道筋でなんらかの影響あったのではないかと思えてしまう。制作年や他のエリアなど調べていないため断片的なもので申し訳ないが勝手に想像してしまう。「隣の集落にあった像をみたんだけど、形がイカしてるからうちの集落でも取り入れてみっか」とそれが道伝いに広まったのかなと思えてしまう。おそらく地蔵以外は、ここ2,30年前のものかと推測する。

私の場合あまり資料にもとづいて核心に迫るタイプではなく、直感や想像力に委ねることが多い。反応するにあたってはものの観察や比較といった洞察力も含まれる部分もあるが飛び越えてしまう傾向がある。「あっ!」という一瞬の中に過去現在未来、自己の境目が曖昧になった泥のような状態から記述に残らないが確かに存在していたであろう人の記憶を掴もうとしている。その反応には不確かなことも多いが直感はものの真理を貫くものだと思っている。

田山 湖雪

田山 湖雪

静岡出身の写真家など です。
東京→伊勢→静岡→東京

Reviewed by
唐木 みゆ

田山 湖雪さんの「目を重ねる」によせて

今回は伊勢街道の旅のこと。
私は旅が最高だと思っているので、このことが田山湖雪さんにとって孫に語る話であり
ふとした海の香りとともに甦る記憶であろうと思う。


旅は、
どこに行き、何をするか、考えたほうがよい。よほど旅慣れてる自覚がなければね。
責任の薄い完全なツアーに組み込まれると
「旅」というものが、人の口から語られる時の特別の感やその意味を知ることができない。

旅は、あなたが受動的なまま死ぬか、心を、体と、一体として生きるかどうか、生に責任があるかを
試しているのです。
日々を冒険と化し、人を物語にするため。
その固有名詞を消すため。
おぉ、風やおん身を運ばん、消えてなくなるまで、地の果てから家に戻るまで、おぉ・・


なーんちゃって!
旅が最高なのは分かったか!

田山湖雪さんがいう、わたしのお気に入りはここ。

「文献などの記録として残っていない誰かの生きた記憶の断片のようなものが目下に広がるのだ。
歩くのがその記憶を拾うのにちょうど良い速さだったと思う。」


大昔の、それか最近の誰かもしれない人と時を同じうせずに、場所を同じくして感動したり共感することがつまっているから。
だから出かけて、
帰ってきたらもう
「今は昔、男または女ありけり」の人物になっているの。



レビュー:唐木みゆ

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