当番ノート 第50期
メッカへの巡礼から帰国した同僚の机の上に、見慣れない木の枝が置いてあった。 長さは10センチより少し長い程度。太さは5ミリくらいだろうか。木の枝であることは分かったのだが、そこから先が分からない。そこへ同僚がやってきて自慢げに話す。 「ラミ、これは歯ブラシだ。しかも歯磨き粉が必要無い。」 この木の枝でどこをどう磨くというのだろうか。納得していない私の表情を察したのか、カッターナイフ…
当番ノート 第50期
アパートメントで文章を書くことを通じて、一人の死によってさまざまな人や物事と出会い直していたことに気づく。 亡くなったのは一人なのに、自分に見えていた世界のあちこちの形が、否応なく変えられていく。 — 父に花嫁姿も孫の顔も見せられなかった、というに対して、悲壮感にかられるかと思いきや、案外そんなことはない。 男兄弟がいない長女のためか、小さいときから家を継ぐように度々言われてきた。婿を…
当番ノート 第50期
「やぁやぁ」 今日も自転車を走らせながら、珈琲店の前をやっちゃんが駆け抜けていく。 すぐ近くにある魚勝という歴史ある料亭で働く、妖精みたいなおじいちゃん。 通り過ぎるときに必ず手を振ってくれるので、こちらも手を振り返すのがお約束の日課だ。 やっちゃんはこの街の守り神のような存在で、毎日のように自転車で街中をぐるぐる走り回っている。 おそらくは仕事で駆け回っているのだが、自転車のカゴはいつも空だし、…
当番ノート 第50期
感動。挫折。後悔。幸福。大切な体験には、姿と音が記憶に残っていることがあると思う。 16時から18時ごろ、街に響き渡る帰宅へ導くチャイムと「バイバイ」視界のぼやける朝、台所に立つ母の姿。頭痛になりながら、とぼとぼと歩く傘の下。 … 音を聴くと記憶が蘇ってくることもある。近日だと、家にいるときに聴こえるのはどんな音だろうか。 犬の遠吠え。スマホのスワイプ。パトロールカーのサイレン。左から右にゆくスケ…