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2F/当番ノート

あわいを問われる《5週目》

当番ノート 第50期

アパートメントで文章を書くことを通じて、一人の死によってさまざまな人や物事と出会い直していたことに気づく。

亡くなったのは一人なのに、自分に見えていた世界のあちこちの形が、否応なく変えられていく。

父に花嫁姿も孫の顔も見せられなかった、というに対して、悲壮感にかられるかと思いきや、案外そんなことはない。

男兄弟がいない長女のためか、小さいときから家を継ぐように度々言われてきた。婿をとって、土地と姓を守ってほしい、安定した収入を得るために、公務員になるか銀行員になってほしい。将来の夢は最初からその2択だった。

そういう周囲の期待を一身に受け止めて、そして全てを放り投げて、東京で一人で暮らしている。責任感だけは人一倍あるくせに、結局自分の思う正しさにこだわり続けた。

相手の、しかも大切な相手の願いと異なる生き方をするのは、小さな摩擦がたくさん生まれて、擦り切れる。それでもなんとか一つずつ結論を出して、でもやっぱり取り下げてたりして、右往左往しながら、今をなんとかやり過ごしている。

花嫁姿を見せられなかったり、孫の顔を見せられなかった親不幸なんて、私の中ではいまさらだった。

仏壇の前で手を合わせると、新米のピカピカの父の位牌よりずっと、先祖の位牌の威圧感に負けそうになる。文字も見えない、黒く濁った位牌。ずらっと並んだゼーレのような位牌に責め立てられている気がする。

もし子どもを産まなかったら、戦争を乗り越え、貧困に耐えて繋がれた遺伝子が、ここで終わるということだ。次の走者に渡すことなく、私が遺伝子のアンカーになる。もしそうなってしまったら、アンカーがどうゆうふうにゴールしたら、前走者たちは許してくれるだろうか。思いっきり、諦めず、全力で走りきることだろうか。そんなことは、今生きている人が決めればいいと思うし、反対に同じくらい、今生きている人の身勝手な独断だとも思う。

父が最期まで、人としての生にすがった姿を思い出す。あそこまで生きたかった人の遺伝子は、もう私と妹にしかない。

30歳もとうに過ぎて、結婚を焦るのとはまた別に、どうにか遺伝子のバトンを繋げなければ、という生き物としての使命感のようなものが芽生えていた。今まで子どもが欲しいなんて言ったことなかったのに、会う友達会う友達に、気づくと「赤ちゃんが欲しい、父親はいなくてもいいから、ともかく次の命を」と話していた。

当の本人がいなくなったのに、生きているときよりもずっと、血や先祖のことを意識している。こんなことばかり考えるのは、そもそも幼い時から、父が生き方を押し付けてきたからじゃないか、と父のせいにしてみる。もし生きていたとしたって、正社員になれだの、結婚しろだの、孫だの、一辺倒に意見されて、喧嘩になっていたことが容易に想像できた。でもそうなってしまうのは、きっと私たちがそれぞれに一人の大人で、それぞれの正義と、見えない愛があるからなんだろうということもわかっている。だからこそ、つらいのだ。

なんだか投げやりな気持ちになって、お父さんって、本当は嫌な人だったよね、死んだことに酔いしれて、美化してたわ、と台所でチャーハンを作る母の背中に言ったら、そうかぁそうだったかもねぇ、と気の無い返事がきた。あやされたようで、なんだか不甲斐ない。

多村 ちょび

多村 ちょび

ウェブディレクターや編集の仕事を経て、都内の小さな団体で広報をしています。ときどき田舎の実家に帰り、人々や生き物を観察して、その様子を綴っています。最高の休日の過ごし方は、散歩→銭湯→喫茶店で本を読んだり日記を書いたり→家に帰ってまぐろをつまみにビールを飲みながらお笑いを見る、です。

Reviewed by
向坂 くじら

多村さんの連載を読んでいると、こちらの世界までぐらっと位相がずれる経験をする。
ひとりの人の不在を通して、存在のすべてに陽が当たる。不在そのものさえ、明るく照らされている。
抽象化や美化を拒む透明なまなざしは、ときに実在の重みをもって迫ってくる。

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