入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

あわいを問われる《8週目》

当番ノート 第50期

父の見舞い行ったり介護を手伝ったりしたあの時期は、振り返れば迷いばかりだった。やってきた全てのことが成功だったし、失敗だった。この世からいなくなってしまったのは、1mmも自分のせいではないのに、大きな敗北感があった。負けた、と思った。大切なのはどうやって過ごしたかなんじゃないの、なんていう言葉に、そんなのは嘘で生きていなくちゃ意味がない、と悪態をつけながら、すがっている。

入院中の父を見舞いに行ったとき、何を話せばいいか、正直わからなかった。

例えば恋愛だったら、付き合いはじめはプレゼントを贈るだの、毎日好きって言ってくれるかだの、そうゆう恋人らしさにこだわっていただけれど、それはすぐに形骸化されて、2人の間を紡ぐ本質でないことに気づいていく、のような恋人との愛なら20代で学んだのに、こと入院した父親を大切にするやり方なんて、さっぱりわからない。特に話すこともない。できるだけ一緒にいよう、と決めたものの、隣にいても所在なくて、なにかできることはないか、いつもやることを探していた。掛け布団を直してみたり、引き出しの中を片付けてみたり。それは母も同じようで、「新聞を持って行って、今日のニュースを読み上げよう」とか「マッサージは喜ばれる」など情報交換をしていた。本当はそんなことをしたいわけじゃない。もっと、伝えなければならないことがたくさんある気がする。もっと寄り添える形がある気がする。でもどうしたらいいかわからなかった。私も母も、相手を大切にするやり方について、とても無力だった。

でもよく考えると、一緒に住んでいるときも、居間で隣に座っていたって、特に何も話さず、何か気になったことがあったら「ねぇ」と声をかけるだけだった。なので申し訳ないと思うことは途中から辞めにして、一緒にテレビを見て感想を言ったり、隣でコーヒーを飲んだ。

もう助からないとわかっている人に対して、介護を続けるのはどうしてだろう。放っておいたら、ネグレクトになってしまうからなのか。命は助けるべきものだから、という大義名分があるからだろうか。答えは「助からない」だとわかっているのに、今生きている、それ自体を、助けたくなるのはなぜだろう。1秒でも長く生きていて欲しいという、介護者側のエゴなのだろうか。

 もう助からないとわかったとき、どうして介護を続けるのかは、介護者への残酷な問いとなって戻ってくる。車椅子を押して散歩に行ったり、はみがきを手伝ったり、それを続ける私は、なぜそうするのか。もしかしたら、自分が後悔したくないからだろうか。

ゆっくりと引いていく潮を見ているような気持ちで、少しずつできないことが増えていく父とともに過ごす。私はいつも父に伝えるべき言葉を探して、そして伝えないでいた。言葉にして伝えること、それよりも、なんというか、親子の愛って、ずっと地味なのだと思う。近くにいて、何もしてあげられなくて、でも放っておけない。嫌いで、認めたくなくて、でも結局見捨てられないのは、心のどこかでわかっている。こうやって、気まずくて地味な時間が過ぎて行くことが、愛なんじゃないかな。そう思ったりするけど、今でも答えは出ない。

終末医療は、どこまで続くかわからない、長くてゆるやかな下り坂みたいだ。平坦だと思っていた道は実はわずかな傾斜がかかった下り坂。パジャマを着替えることをやめる、風呂に入ることをやめる。できないことが少しずつだけど確実に増え、どうにもできない情けなさを励まし合いながら過ごし、そうやってオロオロしているうちに、ずっと続くんじゃないかとどこかで思っていた道は、ある日何の前触れもなく、終わる。

ゆるやかな下り坂が終わると、ともに下ってきた介護者たちは、下り坂を振り返る。本当にこれで良かったのか、もっと何かできたんじゃないか、あのときああしていれば。そういった後悔ばかりがリフレインする。

セカンドオピニオンを家族で聞きに行ったときに、「もう、助かることはできません。でもあなたたちがここまでしてきたことは、何一つ間違っていません。できることは全てやってきました」と言った先生の言葉を、ときどき思い出す。ドラマの定型分のようなセリフに懐疑的になりながら、その一言に救われている。

明日死ぬかもしれないし、もう少し長く生きられるかもしれない。そういったたくさんの「かも」のあわいを、無い知恵を絞って右往左往し、全員大敗北したこの1年。こんな不完全で不慣れな介護も、きっと一つの愛の形だったんだって思う。

多村 ちょび

多村 ちょび

ウェブディレクターや編集の仕事を経て、都内の小さな団体で広報をしています。ときどき田舎の実家に帰り、人々や生き物を観察して、その様子を綴っています。最高の休日の過ごし方は、散歩→銭湯→喫茶店で本を読んだり日記を書いたり→家に帰ってまぐろをつまみにビールを飲みながらお笑いを見る、です。

Reviewed by
向坂 くじら

だれかを助けようとすることは、ある未来のためだけに行われるわけではない。
今、という時間をだれかと過ごして、そのひとの「今」そのものを、今、助けたくなる。

そのはたらきは、突き詰めて考えれば、無意味にも見えるのかもしれない。
しかしどうしても、そこで生まれたもの、分かちあわれたものの存在を信じたくなってしまう。

そのたよりない賭けを、愛と呼ばずしてなんと呼ぼうか。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る