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2F/当番ノート

あわいを問われる《6週目》

当番ノート 第50期

妹がいる。

1人でものごとを決めてしまい、自分勝手でわがままで、でも実は人情深い。

2つしか離れていないためか、ライバルのように意地を張り合った幼少時代だったので、お互いにあまり優しくなかったし、疎ましく思っていたこともあった。

妹とは似ていないと思っていたし、似ていると言われるのは、たぶんお互いに嫌だった。でもユニクロのカーディガンやプチプラのアイシャドウ、読んでいる詩集など、生活の端々のものが被っていて、そうゆうときに似ている存在であることを思い知らされる。

彼女は家族の予想に反して、積極的に父の介護をしたがった。会社を休まなくてもいいんだよ、できる範囲でいいんだよ、となだめる母に、父の世話をしてやりたいと私が思うんだから、と語気を強めて返す。父のため、家族のためというよりも、彼女にとって納得できる過ごし方をしたいのだろう。あくまで利己的にそうゆう結論に至ったところに、優しさが透ける。

父が車椅子生活になると、ベッドへトイレへと、父の体を持ち上げて移動することが多い。立てない人間を動かすにはコツが必要で、中学のときに習った「てこの原理」を思い出しながら、車椅子に座る父の前に立って脇に深く手を入れ、右足を踏ん張りながら、一気に自分の方に引く。すると父が自分に覆い被さるようになるので、抱きしめながら体を90度回転させて、ベッドに降ろす。洋服の着脱を手伝ったり、シャンプーしたり、父の体をベタベタとたくさん触った。こんなに父に触れたのは、いつぶりだろうか。思春期に入ってから、親を、こと父親を抱きしめたことなんて、たぶん一度もない。

毎週実家に帰っているので、恋人にもずっと会えていなかったこともあり、最近は父ばかり抱きしめているな、とぼんやり思っていたら、隣で妹がコーヒーを入れながら、「最近、おとんしか抱きしめてないよ」と同じようなことを言う。

意図しないシンクロは、父が亡くなった直後にもあった。

父の体が火葬場に行くまでのわずかな期間、家で過ごすのは最後だから忘れないように写真を撮っておきたい、と思っていた。でもそれは、生きている人の都合であって、本来仏様は撮影してはいけないらしい。気持ちに整理がつかないまま父がいる部屋の襖を開けると、左手にスマートフォンを握りしめながら立ってる妹がいた。私に気づくと、「撮っていいのかどうか、わからないよね」と困ったように笑った。

もうそれなりの年齢になって、悲しみを引きずらずに生きていく術を身につけた、強がりで残酷な大人の女でなくてはならない私たちは、感情のままに笑ったり泣いたり、それを理由に日常生活をストップできない。だからこそ、手を伸ばせば手を取り合えるもう一人の存在がいてくれたことがありがたい。

テストは100点でなければならず、石橋を叩いて結局渡らない安全第一の親の元で育ち、田舎の閉塞した学校で空気を読みながら過ごし、思春期には自分らしさと現実の間にあくせくし、思い描いていた煌びやかな未来とは異なるけどそこそこの就職口をなんとか見つけ、うかうかしているうちアラサーになって結婚を焦り、自分にかまけていたら父親が死んだ女が、自分以外になんともう一人いる。

それは、思いがけず心強く、意地を張り合った思春期を経た私たちは、頼り甲斐はないけど一番近い仲間になったのかもしれない。そうだといいと思う。

多村 ちょび

多村 ちょび

ウェブディレクターや編集の仕事を経て、都内の小さな団体で広報をしています。ときどき田舎の実家に帰り、人々や生き物を観察して、その様子を綴っています。最高の休日の過ごし方は、散歩→銭湯→喫茶店で本を読んだり日記を書いたり→家に帰ってまぐろをつまみにビールを飲みながらお笑いを見る、です。

Reviewed by
向坂 くじら

言うまでもなく感情は固有で、いわんや人生をや、私たちは自分の生命を生きることしかできない。
しかし、ときどきはっと霧が晴れるように、誰かと分かちあえる瞬間が訪れる。
その相手が家族であったこと、そして、そこにかなしみがあったこと。
そのことが、不思議とわたしにとっての希望にも思えるのだ。

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