「マネキンが動いたのかと思った」とお客さんが驚いたのは、1度や2度ではなかった。あまり変化のない表情には、ますますそう思わせるところがあった。当時働いていたインテリア・ファッションのお店の、後輩だった女の子のことだ。
しょっちゅう変わる髪の毛の色はパフェみたいに可愛くて、白い肌と淡いメイクが人形らしさを際立たせる。彼女が着るお洋服はどれも個性的に違いないのだけど、彼女の世界観とぴったりあっているために違和感がない。彼女がなんとなくお店に立つだけで華やいで、なんとなく立っているだけなのにコーディネートされたマネキンのようだった。それゆえ、動いた拍子にお客さんをドッキリさせることもあったのだ。
もともとエッジの効いたファッショナブルな人ばかりのお店でも、彼女は目立った。容姿だけではなく、接客も独特だったのもあるだろう。最初のひと声を掛けるまでの間隔、声の掛け方(はじまりはどちらかというとローテンションでさりげない)、お客さんの好みの探り方、その人に合う商品の選び方(はやい)、そして褒め方(とびきり嬉しそうに彼女が放つ「かわいい」!)。最初は彼女の完璧な姿になんとなくたじろぐお客さんでも、彼女にかわいい!と言ってもらえると嬉しくなるし、自信を持てるのだろうと、私にも想像できた。私は彼女に会って「カリスマ」というものを初めて信じたのだった。
彼女はお店のなかでも最年少だったけれど、自分の意見をはっきりと言う気の強いところも印象的だった。説明のひとつひとつは年相応なのだけど、自分のやりたいことを実現してやるんだという気概は年齢と関係なく人並み以上のもので、それはもう、紛れもない彼女の才能だった。彼女には意地の悪さで評判だった上司も惚れ込み、彼女の自由にやらせたいと思わせるほどのパワーがあった。
だからといって彼女のほうは、誰かに根回しをするとか懐くという感じはなくて、直球だったと思う。その気高さが一級品だったのだ。
そうして彼女は自分の企画をいくつも実現し、毎月厳しく評価された売上もトップを走った。彼女ほどの人は独立したらいいだろうに、と思う一方で、彼女ほど組織のなかで生き生きとできる人もいないのではと感じた。彼女はやりたい企画をやらせてもらえるほどの売上を積み上げ、圧倒的なセンスで社内でも一目置かれ、お客さんにたくさん愛されていた。一方で会社に迎合せず、休みたいときに休んで旅行へ出かけた。相手に依らず、自分が損なわれないように振る舞える彼女こそ、その会社で働くメリットがある気がした。完璧な水族館で悠々泳ぐ、熱帯魚のような彼女だからこそ。
自分が損なわれないように、というのは組織で働くときに本当に大事なことだと思う。空気を読み過ぎたり、プレッシャーによって無理をすることは、積み重なると、簡単に自分がもともと持っている健やかさや強さ、優しさを損なってしまう。私を含め同時期に働いた同僚の何人かは心身を損なってしまった。けれど、同じ職場環境で、彼女はぐんぐん伸びたのだ。
「置かれた場所で咲けないなら、場所を変えればいいじゃない」とずっと考えてきた。咲くことは自分にとって大事な営みなのだから、風に乗ってでも、通りがかる生き物に便乗してでも、遠くに種を飛ばして、生きる場所を変える。当たり前のように、そうするしかないと思っていた。
何度かそういう決意をするうちに、場所を変えることも人を変えることもなく、彼女が彼女のまま、組織でサバイブする様を思い出すことがあった。彼女の戦い方もなかなか勇ましい、と羨ましく思う。
そういうときは、コンクリート・ジャングルにも咲くナガミヒナゲシのサーモンピンクも一緒に思い出される。
彼女の淡いチークの色と似ていたせいなのかもしれなかった。