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2F/当番ノート

03 優しさの訳

当番ノート 第55期

この日、この絵で描いた場所に行った日、私とここに描かれている私の友人は、一緒に住む約束をした。

 

私たちは演劇のスタッフとして出会い、それから私の書いた脚本の舞台に出演してもらったり、定期的に彼女のライブを見に行ったり、たまにお家に遊びに行ったりする仲になった。彼女はどうしてそんなに人に優しくできるの?と不思議になる程、とにかく優しい人だ。あまり自分から何かを喋らず、人の話をどこまでも受け止め聞いてくれて、そばにいる人を安心させる空気を纏っている。いつの日か彼女の家に泊まった時、朝に作ってくれたかきたまうどんがあまりにも美味しくてしばらく忘れられなかった。彼女が作り出す料理までもが彼女を体現したかのように優しかった。泊まった次の日、出かける用事があった私におにぎりを握ってもたせてくれた。朝目覚めた時にキッチンでおにぎりを握ってくれている姿があまりに尊くて、こっそり動画を撮ったものが今でもスマホのアルバムに残っている。

私は彼女の作る曲が、歌声が、とっても好きだ。彼女の作る歌を聴いていると創作意欲がもくもくと湧いてきてたくさんのアイディアが溢れ出てくる。彼女の歌をもっと側で聞いていたい、と思った。その歌が生まれる瞬間に居たい、と思った。だから大学を出たら実家を出ようと決めていた私は、ひっそりと彼女と暮らす生活を思い描いた。一緒に生活ができたらどれほどいいだろうと考え出したら止まらなくて、駄目元で提案してみることにした。

その日はまず行って見たかったご飯屋さんでランチをして、散歩をした。近くに公園があって、木々を抜けた先には海が見えて、彼女は海が見えた瞬間一直線に海へと走って行った。空は気持ちよく晴れていて、少し風があったから、彼女の黄金色の髪の毛が透けて揺れて輝いていた。私はなかなか一緒に暮らしたい旨を伝えられず、結局帰りの電車になってしまったけれど、話の流れで彼女が今の家を引っ越そうと思っていることを知り、ついに私も卒業したら実家を出ようと思っている話をした。多分、その話をしながら、あなたと一緒に暮らしたいと思っている、という気持ちが言わずとも溢れ出ていたんだと思う。その時なんと彼女の方から「一緒に住む?」と言ってくれたのだった。

 

そうして今私たちは下北沢で暮らしている。

引っ越してすぐ、コロナウイルスの影響で家からほとんど出られなくなった。私は関わるはずだった舞台が中止になり、彼女もライブ活動が出来なくなった。アルバイトにも全然入れず収入がほとんどないのに家賃は変わらず毎月払わなければならないし、10万円もなかなか給付されず生活は苦しかった。私たちは今この国で圧倒的弱者で、すぐに見捨てられてしまう存在なのだと実感した。

初めの頃は怒りや不安を共有していたが、ずっと続く感情や積み重なる情報に疲弊しあまり会話をしなくなった。昔好きだったドラマを見て、不安な気持ちをごまかしながら夕食を共にした。夕食の時間以外はあまり顔を合わせなくなったりしたけれど、それでも彼女の存在に私はかなり救われていた。誰かとテレビ電話をしながらケラケラ笑う声や、朝目覚めると聞こえるギターの音色、音楽をかけ鼻歌歌いながらキッチンで料理をする音。この状況で一人だった時の自分を想像すると怖くなった。彼女がいたから、なんとか乗り越えられた半年だった。

一緒に暮らす前は、ただただ神様のように優しい彼女の姿しか知らなかったけど、歌ったり、光で遊んだり、食べ物を本当に美味しそうに食べていたり、酔ってちっちゃな女の子のように無邪気になる姿を知って、弱った姿も、許せなかったことも共有し合った。そしてそこから立ち上がる強さと、人を心から想う姿をみて、それだけの優しさを持っている訳を知った。

 

 

 

 

昨日の夜のことだった。

一人でコタツに入り寝転がっていたら、急に胃が痛くなって寒さからかな?それとも賄いで食べたカレーがうまく消化できてないのかな?と思い、とりあえず湯船に浸かってあったまろうとお風呂に入った。

でも痛みは増す一方でシャンプーを流すのに屈むのも、体を洗う際に腹部を捻るのも痛すぎて「うぐぐ」と声が漏れた。結局湯船にものんびり浸かれず眠れば治るだろうと思い急いで着替え、ざっとドライヤーをかけて布団に寝転んだ時、痛みはさらに急増し、あまりの痛さと苦しさにボロボロ泣きながらこれはまずい、これはまずいやつだと思い真っ先に彼女に電話をした。

最初の電話には出ず、すかさず親に電話したが親も電話に出なかった。意識はしっかりあるし、全く動けないほどではなかったため救急車を呼んでいいのかわからなくて、私は途方に暮れた。このまま死ぬのか?と思い怖くなってもっと泣いた。すると彼女から折り返しの電話がかかって来て現状を全て話すと、今から帰るから少し待ってて、といってくれた。

その間に救急相談センターに電話をして病院をいくつか紹介してくれたが、全て今は受診ができないので他を当たってくれと断られた。これがいわゆるたらい回しか、と思った。電話に出た受付の人は皆とても冷たく、毎日のことだし仕事だから仕方のないのだろうけど症状を伝えても他人事でどうでもいいかのように対応されたのが悲しかった。

でも帰ってきた彼女が暖かい白湯とモコモコの靴下を履かせてくれて、ずっとそばで背中をさすってくれた。その暖かさが、冷たさに傷つきそうになった私の心を守った。彼女は無邪気な少女のような姿も持ちながら、長く多くの修羅場を乗り越えたおばあちゃんのような姿も持っている。まるで魔法でも使ったんじゃないかってくらいそれからスルスルと痛みがひいていった。眠りにつけそうなほど痛みが和らぎ、ベットに横になると「蒸気でホットアイマスクいる?」といってラベンダーの香りがする蒸気でホットアイマスクをくれた。

 

 

「優しさとは本当の悲しみと孤独を知っているということだと思う。」

今日、写真家の濱田英明さんがそうつぶやいていた。

蒸気でホットアイマスクをつけながら、これまでで私が知った彼女の優しさの訳は、きっとほんの一部でしかなかったことを思い知った。蒸気でホットアイマスクを常備している彼女は、きっと何度も一人でどうしようもなく苦しい夜を過ごし、それを癒してくれる方法を自ら探し身につけてきたんだと思う。

乗り越えてきた強さの上にある優しさだから、そこに見返りやいやらしさなんてどこにもなかったのだ。

私は彼女が体調を崩した時、同じように力になることができなかったことを思い出して、ひどく後悔した。私はまだまだ未熟だ。私にはまだ到底、彼女のような優しさを手にすることができない。

彼女のそばにいながら、もっと彼女の優しさの訳を知っていけたらと思った。そして私も彼女を守れるほどの強い優しさを手に入れたいと思った。

 

 

 

 

来週は、そんな彼女「市野美空」について、もう少し書こうと思う。

さかもと あやね

さかもと あやね

役者/脚本/演出
パフォーマンス団体『IE-イエ-』所属。
下北沢で歌うたいと同居中。

Reviewed by
井川 朋子

さかもとあやねさん3回目の日曜日、第3稿「優しさの訳」。
こんなやさしさを感じられたなら。

厳しさもやさしさ、とか、うそもやさしさ、とか、やさしいから舐められるんだよ、とか。私たちは、やさしさをとっても適当に、何かに劣るもののように扱ってしまっている。

今日は最初の日曜日よりはずっと暖かくなっている。大阪の町でも、国道の植え込みの端っこや、そんあに手入れはされていない古い民家の玄関に小さな梅の木が花を付けている。花に顔を近づけないと、香らないすっぱくてかわいい、優しい梅の花の香りが大好きだ。

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