旅をすればするほど世界は身近に思われるようで、私の場合は途方もない広さに圧倒される。
世界は広くて、生涯で出会える人は限られているんだと思い知る。そのぶんだけ、自分と接点があった人や場所に特別な意味を見出したくなる。その意味をひとつひとつ吟味するには心のボウルの容量の限界を感じる一方で、「この出会いは特別」というようにきらきら光を放ちながら、こちらに向かって近づいてくることもあると感じている。
インドの新聞社の編集者であるソナルとも、この広い世界で、すうっと道が開けるように出会った。こんなに離れて暮らしていて、出会うまで共通の友人がいなかったにも関わらず。
私たちはお互い出張先のオーストラリアで知り合い、詰め込まれ過ぎたスケジュールへの文句をこぼしながらホテルの部屋でお茶を飲んだり、スーパーで買った最安のワインを一緒に空けたり、スシロールを食べながら自然と友だちや愛や女性の生き方の話をするようになった。出張終盤で「パートナーの親友の結婚式があるからおいでよ!」と誘われて(私まったくの他人だけどいいのかな?と思いながらも)すっかり舞い上がり、その場で私は3ヶ月先のインド行きの航空券を買った。
3ヶ月先の航空券を買うってハードルが高い気もするけれど、ソナルが「インドに来るならうちに泊まって」と言ってくれてすぐ決めた。自分だけの意思決定で行かれないところに導いてくれる人が現れたときはいつだって旅どきなんだ、と信じている節が私にはある。
そうしてソナルを訪ねたインド旅行は1週間のホームステイを通して、彼女の家族越しのインド・ニューデリーを眺める日々になった。「インドに行くと人生が変わるよ」と人々は言う。怖い目にも悔しい目にも遭わず、安心の詰まったソナルのうちで彼女たちの日常を垣間見ただけだったけれど、身を置くだけで感じられることの多さに毎日、心がビリビリしていた。
訪れたのはソナルの勤め先の新聞社、彼女の実家や叔母さんに連れられて行ったマーケット。ある日はソナルの長女の学校帰りを校門でほかの保護者と一緒に待ってみたり、またある日はソナルがもらってきた廃タイヤをカラースプレーでカラフルにペイントし、それを花壇にして家族総動員でガーデニングに奮闘したりして過ごした。
インドならではの素晴らしい観光も連れて行ってもらったけれど、なによりも嬉しかったのはそういう、家族の日常に混ぜてもらった時間だったと思う。ホームステイは大人になれば窮屈に感じるかと思っていたけれど、日に日に親しんでそこに数ヶ月はすでに暮らしているかのような、愛着と愛情がいくらでも湧いてくるものだった。
ソナルの家族はパッチワークのように美しい。
彼女の次女はミャンマーから迎えた養子でクリスチャンとして育てられていたり(次女以外はクリスチャンじゃない)、ソナルのパートナーや叔母さんが同居していたり、まだ10代のメイドさんはインドの別地域からはるばるソナルのもとで住み込みで働いている。インドは地域が違うと言葉も全く違うので、共通の言葉は家庭内でも英語だったりヒンディーだったりが複数飛びかう。
インドの伝統的な刺繍の生地みたいに異なる者同士が色とりどりに隣り合っているところが、彼女の家族の豊かさだ。その寛容さが異国から訪ねてきた私に対しても等しく向けられたことに、感動したのだと思う。そして寛容と愛情の中心にいるのは常にソナルだった。
ソナルのユーモアと静寂を尊ぶ姿には誰もが彼女を支持せずにはいられない魅力がある。メディアの第一線で文化人としても活躍する彼女は凛としたエレガンスのあるスターだ。同時にパーティーでの会話や人ごみが苦手で早々に疲れてしまう面もある、とても細やかな感性を持った人でもある。彼女の華やかな世界に染まり切らない素朴な一面は本当に尊い。
なぜそんな彼女と友だちになれたのか、私にはわからない。わからない素晴らしいことが起きるたび、また世界は果てしなく感じられる。私の世界地図はどんどん大きくなって自分は小さくなっていく気がする。広さに驚きつつ、それを心地良くも感じる。どんなに情報化された社会に身をおいても、体験することの面白さと不可思議さは自分を謙虚に修正してくれる大切なステップだと思う。
それに、予想がつかないことは起きるということ。それを知っているだけで勝手に勇気が湧いてくる。戦う勇気も、受け容れる勇気も、どちらも。ソナルはそんな気持ちを思い出させてくれた。例えば今回、パーティー嫌いな彼女が「さいこが喜ぶなら」と私を同伴して出席してくれたあるパーティーでは、なんと一国の首相とのツーショット写真まで撮れたのだ。紛れもない一般人である私が首相と公式写真を撮るなんて、誰が予想できただろう。大切なのでもう一度。予想がつかない「素晴らしいこと」はときどき起きる!
この夏、ソナルの家族と一緒に今後は南インドを旅する約束をして帰国した。「雨季のインドで雨の降る海を見ようよ」と誘ってくれたのだ。彼女の好きな静かな時間が流れているならそれもいいな、と素直に思えた。雨越しの海を愛するあたり、彼女らしい。
先のことは確かにわからない。わからないけど、半年先の航空券はもうすぐ取るつもりでいる。素敵な出会いには、いつだって賭けていたいから。