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2F/当番ノート

ざくろ

当番ノート 第1期

DSCN1168

近所に大好きなざくろの樹があります。
それはいかにも何何荘という名前の似合いそうな、二階建ての古い木造家屋の庭いっぱいに密な枝葉を広げ、前面に塀のないその家の高い高い生け垣となっています。
ハマユウや春に淡い黄色の花を咲かせる薔薇の一種、いちじくや秋に小さな紅い実をびっしりと房状につけるピラカンサ、それにざくろの樹よりもさらに大きく高い樅(もみ)の樹などがあり、その建物の周りは緑に溢れてとても心地がいい。だから週に五、六度はその家に面した道を好んで通るんですが、九月初旬からぽつぽつと実を生らせていたざくろの実が五日前にとうとう割れました。

ざくろの実には植物の果実のなかでも最も、と言えるほど強く惹かれます。
なぜだろう、と思いを巡らせてみると、まずその姿形が好ましい。逆さまの玉ねぎにも似た形状の硬く紅い果皮に見事な亀裂が入り、なかからぎっしりと詰まった、さらに鮮やかに紅い半透明の果肉の粒が覗きます。その様子には実にうっとりさせられる。
さらに考えを進めると、その構造が目に見えることも魅力を感じる大きな理由であると思われます。果実として当然の構造、つまり果皮のなかに果肉があり、果肉のなかに種子が、そして種子のなかには次の生命を育む元となる胚がある。果皮の割れているために果肉が覗き、果肉の半ば透けているために種子が覗き、目に見えずともきっと種子のなかには胚がある…ざくろにおいては神秘的ともいえる重層構造をした果実の、生命の不可欠な一部としての理が手に取るように感じられるのです。

ところで、ざくろの文章を以前に記したことがあるので下に載せます。ざくろのなかに広がる世界を記したものですが、これを書いたときに上記のような思索は行っていませんでした。しかし、改めて読んでみると、考えずともそれを分かっていて掬いあげていたであろうことが感じられ、心の覚める思いがしています。

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子供たちが裂け目からざくろの果実へ入っていく。
ぎっしり詰まった紅い果肉の群れをかき分けて進むと視界が開け、その先には長い長い銀杏の並木道が続いていた。青空は高く、太陽が眩しかった。
とはいえ、外の時間はもう遅かったので彼らはそこで引き返し、すっかり夜になった外へ出て、お別れをしてからそれぞれの家に帰った。

それからというものの、ざくろのなかが子供たちの秘密の遊び場になった。人の住み家はないがどこまでも続いており、奥へ行けば行くほどに広い。

今日は東の広葉樹の森を探検することにした。温かな木漏れ日のなか、鹿や狐やきのこたちと出会えることを期待して。蝶々(ちょうちょ)や蜜蜂でいっぱいのお花畑も見つけられるかも知れない。
森のなかは樹々と土とお日様によって、やさしい香りのするやわらかな空気で満ちていた。スズメバチやヘビや熊に遭遇するのが少し恐ろしかったが、うきうきわくわくする気持ちの方がはるかに強く、彼らはどんどん先へ先へ行くのだった。

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この都会の東京にあっても、ざくろの樹は意外に多く見られます。都内にお住まいの方もそうでない方も、少しだけ注意してみれば近所の寺社の境内や住居の庭などに生えているざくろの樹を見つけられるかも知れません。

※写真は文章にある近所のざくろの樹を自分が撮ったもの

中島弘貴

中島弘貴

1983年生まれ、東京都在住。多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をしている。芸術全般、自然科学への関心が強い。

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