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2F/当番ノート

即興表現について

当番ノート 第1期

即興表現は瞬間の結晶であり、生活の結晶でもあります。
そこには自身の感情や思想、肉体や外界との関わり方などのすべてが現れるし、それを通して自分自身を超えたところに行き着くこともできます。それが即興表現を行う際に最も大きな充実を覚えることであり、醍醐味であると言えます。心も体も、時間も空間も超え、透きとおってどこまでも広がっていく一方で、その内実は密に密に凝集して満ちていくことの至福。

自分が最もよく行う即興表現は即興演奏です。その際、音と自己の両方に心身を澄まし、それらが望むところを行うんですが、多くの場合において音は自然へ、自己は第一回の連載で記した終着しない姿勢のために未知へと向かおうとします。
そういった音と自己とがそれぞれの勢力を常に変えながら互いに関係しつつ動いていきます。しかも、同時に自己のなかでも様々な思考や感情がそれぞれに関わり合いながら大きくなり、小さくなっていく。以上によって現れる相克や混合、融合などの絶妙な移り変わりが未知にして自然なもの、永遠に通じるものを生みだします。それは以前に一度も触れたことがなかったにもかかわらず、これまでも、今も、そしてこれからも確かに存在し続けていると信じられるものです。
もしも、即興演奏によってそういったものが現れなければ、音と自己のいずれかに捕らわれ過ぎているか、普段の生活や演奏に臨む心身の姿勢のどこかが誤っていると思わねばなりません。そのときには感情や自尊心や固定観念に左右されることのない透徹した観察を行ってその事実と直面し、問題を発見してそれを正さねばならないでしょう。

自己と音の両方に正しく依って演奏を続ければ、音色や和音や弾き方を工夫する、あるいは思考や心身の様子やそこにある環境によって自己の状態が変わることで演奏を融通無碍(ゆうずうむげ)にすることができるし、しかもそれらが一貫した感触や性格を備えることをも可能にすると思われます。それは表現や自分自身を縛るものでは決してなく、より自由に呼吸し、動けるようになって自己の向こう側へ行く、世界の彼方へ飛ぶための踏切り板に似た土台となるものなのです。

さて、複数人における即興演奏や既に作った楽曲のなかで即興演奏を行うことについても記したいところですが、要旨が不明瞭になって文章が必要以上に長くなるため、それはまた別の機会にします。
それでは、最後に今回の記事のために録りおろした即興演奏を一つと、これまでに録ったもののうちからの二つの計三曲を以下に公開します。全てギター一本によるものです。どうぞおたのしみ下さい。

いつも(2011)[audio:http://dl.dropbox.com/u/16251004/%E3%81%84%E3%81%A4%E3%82%82%282011%29.mp3|titles=いつも(2011)]

さけぶ(2010)[audio:http://dl.dropbox.com/u/16251004/%E3%81%95%E3%81%91%E3%81%B6%282010%29.mp3|titles=さけぶ(2010)]

星ぼしの夢(2009)
[audio:http://dl.dropbox.com/u/16251004/%E6%98%9F%E3%81%BC%E3%81%97%E3%81%AE%E5%A4%A2%282009%29.mp3|titles=星ぼしの夢(2009)]

中島弘貴

中島弘貴

1983年生まれ、東京都在住。多様なものごとと関わりながら世界を広げて深める。文筆、音楽、絵、写真をしている。芸術全般、自然科学への関心が強い。

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