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2F/当番ノート

焦らなければ、いつか

当番ノート 第1期

一晩中眠れなかった。
夜中に窓を開けて外の空気を吸い、肺を満たしながらじっと横になっていた。
眠れない夜はいつも考えともつかない思考のようなものがとりとめもなく次から次に頭に浮かんでは消えてゆく。
そのときに立ち止まったり方向を定めようとはしない。
流れるままにしておく。
ただ、眺めている。
その内に雨の音が聞こえてきた。
それはさわさわと思いのほか耳に優しく、身体の隅まで満ち満ちて、家の中にいるのに雨に降られているような気持ちになった。
興奮や煩悩や数多ある雑念が洗い流されてゆく。
それからようやく、少しだけ眠ることができた。

昔から雨は苦手だった。
湿気があれば楽器は鳴らないし、服も靴も濡れるし靴の中が気持ち悪いし、傘は荷物になるし髪もボサボサになるから。
でもいつの間にか雨の日独特の空気や草花の冴え冴えとした色が気になるようになった。
窓を開けて聞く雨の音も好きになった。
些末なことが気にならなくなるなる、どんなことにもそういう時がくるんだろうと思う。
焦らなければ、いつか。

日々身体と対話をしている。
楽器とのそれよりも、私にとっては重要なことのように思う。
いつからただそこに居る、ということが難しくなったのだろう。
昔は、ちゃんと居られたのだ。
何も持たずに、ひとりきりで、自分の足だけで。
私は毎日運動をする。
本当に忙しくない限り、必ず。
メニューは今は3種類に落ち着いて、ヨガとジョギングとウォーキングで、時間がたっぷりある時には大体において歩くことにしている。
分単位でしか時間が取れない時はヨガをしながら呼吸を深くする。
それだけでもするのとしないのとでは、全然違うのだ。
それは、身体にというよりも精神に直接影響があるように思う。
私にとっての運動は、根を詰めない限り万能薬だ。
運動の良いところは頭の中がクリアになるところ。
だから、ヨガがあまり良い効果を発揮しないこともある。
昔ヨガ教室に通っていた頃、これが一体何のためになっているんだろう、と思うほどに没頭し過ぎたことがある。
ヨガに限らず、これは私の良くない性質だと思う。
客観性をうしなう、ということ。
そういう時、私はいつも身体の声を聞いていない。
頭で、あるいは気持ちで、身体に無理をさせてしまう。
ほんとうは、私の身体はもっと自由に動くことができるのに。
楽器を自然に歌わせるということは、私が自然に歌うということなのだから、負担がかかっている状態ではそもそもが無理な話なのだ。

たとえば右足を出せば左手が一緒に出るというくらいの単純さで日々を生きるということが、とても難しかった。
でも、今はそうは思わない。
そのうちきっと、自然とできるようになるのだろうと思う。
焦らなければ、いつか。

栗明 美生

栗明 美生

ヴァイオリン弾き。
クラシックを専門に学び、音楽教室講師・オーケストラ・室内楽を主に活動し、ハンブルグに一年滞在した後、朗読や芝居、踊り、画家など他ジャンルとのコラボレーションを中心に活動を始める。
特にインプロヴィゼーションは重要なものとして積極的に参加。
現在はパリのエコール・ノルマル音楽院に在籍。

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