入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

かみさまはなにもしてくれない

当番ノート 第3期

「神と和解せよ 聖書」

 この看板を見つけたのは福島県双葉郡富岡町を訪れた時だった。

 ここは東京電力・福島第一原子力発電所から7kmの距離にある警戒区域。昨年4月22日からは完全に人が住んでいないことになっている。

 今年4月19日。私は報道陣に「夜の森の桜」が公開された際にここを訪れた。L字型に2.5kmもの桜並木が続く「夜の森」は、双葉郡出身者には馴染みのある桜の名所だ。

 満開の桜から少しはずれた場所で、私はこの看板を見つけた。すぐそばでは、倒れた塀に自転車が束になって乗っかっている。人の気配はまったくない。

 シャッターを押しながら思った。空間線量率が毎時4マイクロシーベルトを超えるこの場所で、倒れた塀をそのままにしておくのが神との「和解」なのか。

「ひどすぎる」

 私はかみさまを恨んだ。そして隣にあるもうひとつの看板をにらんだ。

「キリストは甦り 永遠の命を与える」

 看板の真下では、セイタカアワダチソウが全て枯れて死んでいた。手前には警戒区域に残されたペットに餌を与えるための皿。深い皿の中はどす黒く汚れ、食べられるものは何一つ残っていない。

 キリストはまだ甦っていない。いったい、どこでなにをやっているのか。

 * * *

 私が頻繁に福島県を訪れるようになったのは、昨年12月23日。福島県天栄村で開かれた「富岡町再開のつどい」を取材してからだ。警戒区域となった富岡町から全国に避難している小中学生が一堂に会するこのイベントで、私は女子中学生からこんな話を聞いていた。

「富岡は何もない街だけど、夜の森の桜、とってもきれいなんだよね。だけど私たちはもう見られない。もう一度見たいなあ」

 このころまでに警戒区域内の住民に許されていた「一時帰宅」の機会はわずか2回。今年5月になり、ようやく4巡目の一時帰宅が始まった。しかし、富岡町の空間線量率はいまだに高い。つまり、未成年の彼、彼女らは、事実上、自分たちの家に帰ることはできない。

 私が「夜の森の桜」を撮影することにこだわったのは、そのためだ。

 私はかみさまでもなんでもない。善人でもない。しかし、昨年3月の震災以降、なにもできずにいる自分に苛立っていた。そんな自分がようやく見つけた役割が、「夜の森の桜」を撮り、彼、彼女らに見せることだった。

 * * *

 私は桜を撮りにきたはずだった。実際、何十枚も撮った。それでも私の目は、警戒区域の中で散見される「キリスト看板」を探すようになっていった。

 理由はわかっている。それは私がかみさまを信じていないからだ。

 私は物心つく前に幼児洗礼を受けている。洗礼名もある。だが、私はかみさまを信じていない。これらの写真を見てもまだ信じろというほうに無理がある。

 私は小学生の頃、毎週日曜日になると母親に連れられて教会に行った。そして子どもだけの「日曜学校」で聖書の勉強をさせられた。

 自宅の本棚にも、ずっと聖書があった。だが、自分で本棚から取り出して読んだことはない。毎週日曜日になれば、聖書の言葉は勝手に降り注いでくる。わざわざ読む必要などなかった。

「かみさまごめんなさい。おれ、どうしてもかみさまを信じられない」

 子どもの頃の私はいつも心の中でそう思っていた。かみさまを信じられない自分にとって、「日曜学校」は苦痛以外のなにものでもなかった。

 小学校の文集に「将来の夢。大仏になりたい」と書いたのもかみさまへのあてつけだった。私には人間の姿をしたキリストより、巨大な大仏のほうが魅力的に見えたのだ。少なくとも大仏は、私から貴重な休日を奪うことはなかった。

 そして私は小学四年生のある日、「おれはかみさまなんて信じていない」と母親に宣言し、教会へは一切行かなくなった。

***

「天地万物の造り主 イエス・キリスト」

 この看板は、同じく警戒区域に設定されている福島県双葉郡双葉町で撮影したものだ。

 撮っていて悲しくなった。看板は無事でも、街並みは地震で破壊され、1年以上放置されたままだったからだ。

 かみさまは自分が造ったものが壊れていても平気なのか。いつここにやってきて、天地万物を元通りに造り直してくれるのか。

 警戒区域にあるキリスト看板を撮るにつれ、私はますますかみさまを恨むようになった。

「かみさまはなにもしてくれない」

 シャッターを押した後、思わずこの言葉が口をついて出た。それは教会にはもう絶対に行かないと決めた30年前のあの日、私が母親に投げつけた言葉とまったく同じものだった。

 私から激しい言葉で責められるたびに、母親はいつも私にこう言った。

「今はわかんなくても、いつかわかるときがくるから。かみさまはあなたのことをいつも見てくださっているから」

 その言葉を思い出しながら、私は心の中で叫んだ。

「かみさま、今じゃないのか。あなたの出番は」

「キリストはすぐに来る」

 この写真を撮ったのは、警戒区域に設定されていない福島県南相馬市原町区。

 残念ながら警戒区域にキリストが来たという話を、私はまだ聞いていない。

畠山 理仁

畠山 理仁

はたけやま・みちよし▼1973年愛知県生まれ▼早稲田大学在学中の1993年より週刊誌を中心に取材活動開始▼大学除籍▼フリーランスライター▼『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)著者▼ハイパーメディア無職 

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る