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Mais ou Menos #28 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

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まちゃんへ

往復書簡がなかなか書けず、ごめんなさい。実は最近( と言っても前からやったのかもしれんけど)精神的にしんどくなっていましい、色々自分の考え方を見つめ直していました。

去年から今年1月下旬にかけて仕事でずっと神経を使うことが多く、1月からは少し落ち着くかと思いきや、1月からさらに大変になり、自分の職場での環境も変わり慣れないまま、ただ、自分に課せられた仕事をしていました。1月最後の納期の仕事を納めた後、しんどくなり2日仕事を休みました。休んでもしんどさはおさまらず、とうとう心療内科に行きました。先生に話を聞いてもらうと、どうやら私は適応障害のようでした。

環境にうまく適応できず、苦しくなっているので、環境を変えろと言われました。でも、私はすぐに仕事を休むことも辞めることもできないので、会社に現状を話し、こういう状態ですと話しました。仕事はピークの忙しさを乗り越えたので、何とか毎日通っていますが、毎日朝が一番しんどくて、起きられないのが辛いです。

今まで何でもすごく頑張ってきたんやけど、自分の考え方を変えないと、ずっとしんどいままやなと適応障害になって思いました。すごく不安になったり、気持ちがしんどくなったりしたときに飲む薬や、毎日飲む薬を飲んで朝がしんどいのなどが治っていけばいいなと思うんやけど、今は頭の中をリセットして、何も考えないようにして、目の前のやらないといけないことをやって、やりたい好きなことをやっていきたい。

自分の中で、これがやりたい(やらな)と思っていても、できないことが多く、それがストレスになっていたことも振り返ると結構たくさんあったなと思い、今は一度、そういうものを置いておいて、何もない状態から、やれることだけをやっていこうと思う。

だんだん自分の中の容量がオーバーして、何もかもができなくなっている。あと、昔は我慢していたことが我慢できなくなっている気がする。今まで生き辛いのが当たり前(普通)だったから、楽をしたらあかんような気がして、自分を苦しめていたこともあったのかもしれないけど、自分がやりたいことだけをやれる分だけ少しずつ自分のペースでやっていきたい。今はとにかくゆっくりしたい。寝ころびたい。好きな動画をごろごろしながら見たい。

2017.2.12

P

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Pちゃん

お疲れ様。この1ヶ月間、本当に大変だったね。生きていたら大変なことの一つや二つはあるけれど、このタイミングでか…!と思ったり。

でも、わたしも正直、なんでPちゃんが毎日つらそうにしていたのか、理由がハッキリしてある意味では安心しました。とは言っても、これからが長いわけだし、ぼちぼちやっていこう。

今回のことで、わたしは自分がまたまだ未熟なことを痛感しました。Pがつらいのは、サボっているとか、怠惰なわけではないとわかっているのに、Pのムードに影響されてイライラしてしまったり、言わなくていいことまで声にしてしまったり…。自分の気持ちを飲みこみ続けるのはあまり良くないけれど、もう少しうまくアウトプットしないとと、すごく反省しています。

逆境のときにこそ、自分の芯がしっかりしていないと、と毎日思っています。わたし自身、芯がぐらぐらなので、Pがもう少し安心して寄りかかれるくらいには、足元をかためられるよう精進しないとね…

先日からつらいときに読んだりしていた本をまた再読していたんだけれど、毎回、本の別の部分が印象に残ったり、以前好きだった言葉がもう自分の中でひっかからなくなっていたり、人は変化するってことを感じました。いつも良いことばかりではないけれど、人は変わるものだから、気楽にいこう。なにせ、もうすぐ春だよ。あったかくなったら、きっともう少し楽になるよ。

マイザ

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Reviewed by
西尾 佳織

中学2年生のとき、3つ下の弟が学校に行けなくなった。
突然パタリと行けなくなったわけではなかったと記憶しているけれど、とにかく毎朝当たり前に登校するということが出来なくなった。
私は弟が大好きだったので、心配した。
学校で何かあったのか? いじめられているのか? 何か辛いことがあるなら、言ってみな。

でも弟は、何もないしいじめられてない、むしろみんなと仲がいい方だ、と言った。
僕だって行けるもんなら学校行きたい。でも朝になると、なんでか分からないけどお腹が痛くなったり頭が痛くなったりしちゃうんだよ。

どうやらそれは本当のようだと思いつつ、
私は全面的に弟の味方だったからなんとかしたくて、しようと思った。
原因が分かれば、それを解決できれば、そうしてまた学校に行ければ。
よかれと思って、理由を探した。

だけど大人になった今、当時の弟に、私のタフさ・健康さ・明瞭さがごめん……と思う。
きっと弟がいちばん、どうしたらいいか分からなくてどうしようもなくて困ってた。

結局弟は、ほとんど学校に行かないまま小学校を卒業し、
そして中学に上がって、また何事もなかったかのように学校に通い出した。

何が原因だったのかはハッキリしないままだったけど、彼は自分と周りとのテンポを取り戻して、
そしてその調整のためにはあの2年が必要だったんだなぁ、ということを私は、
苦しさ、そしてそれをうまく言葉に出来ないことのまた苦しさ、を自分がいくつか知ってやっと、想像している。

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