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2F/当番ノート

画面にも意志が宿る

当番ノート 第4期

1988年とか89年頃のことです。写真術誕生150年の節目という時期でもあって、東京では大きな写真展がたくさん開催されていました。
記憶に残っているのは、銀座の松屋デパートで、エリオット・アーウィット、ブラッサイ、アジェ、あとは池袋のセゾン美術館でも大きな写真の企画展をやっていました。プランタン銀座で開催された日大芸術学部と東京工芸大学の所蔵するオリジナルプリントが一同に展示される、という企画展もとても印象に残っています。当時は写真美術館もなく、展覧会と言えば銀座のメーカー系のギャラリーと、デパートの催事場で開催されるものがほとんどで、週末になると銀座や池袋へいろいろな写真展に足を運んでいました。

1990年にセゾン美術館で開催された「表現としての写真150年の歴史」という展覧会がありました。さしたる目標もなく大学で写真を専攻しようとしていたぼくは、この展覧会を観て広告でも報道でもなく「表現としての写真」の世界に入って行く事を決めました。とりわけ印象に残っているのが、エドワード・ウェストンの「Pepper,1930」で、初めて観たときの衝撃は今でも忘れられません。黒い背景の前に鍛え上げられたダンサーの背中を思わせる様な、それでいて何とも艶かしい1個のピーマンの写真は、風景でも人物でも世の中の出来事でも何でもないのに異様な存在感がありました。
写真のお好きな方ならご存知かと思いますが、ウェストンのプリントはそれほど大きなものではなく、全て20×25cm程の日本では六切と呼ばれるサイズでした。彼は引き延ばしをせずに撮影したネガを密着焼きして制作しており、大体ウェストンの暗室には引き延ばし機がなかった。あるのは、ガラスの下にネガと印画紙をセットする簡単な「焼き枠」と裸電球1個のみ。いわゆる「ベタ焼き」で様々な工夫を重ねながら一枚のプリントを完成させて行く独特の制作プロセスもさることながら、両手に収まる程の小さな画面から迫ってくる写真の力を、これでもかと思い知らされたものです。

ぼくは写真を扱うギャラリーディレクターでありながら一方では写真の額装の仕事もしている事もあって、プリントの画面の大きさにはとても興味があります。銀塩写真からデジタル写真に移行して、一番変わったと思う事は、プリントされている画面の大きさがやや大きくなったということがあげられると思います。
例えばフレームサイズが、今までは16×20インチ(406×508mm)が写真展のための額の利用としては圧倒的に多かったのに対して、今は18×22インチ(457×559mm)を使う人が増えてきています。
これは、単純に中身の画面の大きさの違いなんです。印画紙を使っていた人たちは、大四切(279×356mm)が多かったのに対して、最近はA3とか、 A3ノビにプリントする方が増えて画面サイズがやや大きくなったため額の大きさも少し大きくなったということです。

興味深いのは、印画紙に自分でプリントを制作している人の写真は、同じ紙サイズでも画面のサイズは人によって様々なのに対して。自宅のプリンターで印刷した写真はたいてい画面サイズが同じだということです。引き延ばし機を使ってプリントする人は、ネガを台板状に投影し、ランプハウスを上下させて眼と身体を使いながら自分の画面に対して適切なサイズを検討するプロセスが必ず存在します。しかし、いま、額装のためにルーニィに持ち込まれるインクジェットプリントの大半が定規で計測しなくても画面のサイズが同じという事実は、画面の大きさを視覚的に検討せずに、印刷する用紙の大きさによって決めていると考えて間違いないと思います。

写真とは画面の大きさを自由に決める事ができます。しかしそれは決して一枚の写真が場当たり的に、その時々で自由自在にサイズを変える事が出来るという事ではなく、その図像に適切な画面の大きさを自由に検討する事が出来るということです。大きな会場なのでプリントを大きくしてみました、という人も時々いますが、一枚のプリントの重みをしっている真っ当な写真作家とは、そんなにコロコロと画面の大きさを変えたりしないものです。
去年、ある美術館でとても味わい深いモノクロのプリントを制作する作家さんの個展を観ました。残念だったのは、半切サイズの丁寧に焼き付けられたプリントの他に大型のインクジェットプリントが、所々に挟み込まれていたことです。モノとしての魅力溢れるプリントの間に、どうしてこんな薄っぺらいパネル状の写真を挿入しなければならないのか?空間演出上の都合ということなんだと思いますが、そういうエキシビジョンデザインは、その作家さんの本質が見えていないと思いました。画面が大きいからといって写真が良くなるわけではないのです。

画面にも意志は宿ります。写真を撮るのも大事ですが、今一度自分の写真の適切な画面の大きさについて、まずは色々なサイズにプリントしながら、自分が一番しっくる大きさを検討してみる事をお勧めします。必ず自分の写真がもっと良くなります。

それにつけても、という話題で終わりましょう。エドワード・ウェストンの「Pepper,1930」の写真は1万ドルくらい出せば買えるらしいので、いずれは手に入れたいと思っているのですが、随分前にサンフランシスコのミュージアムショップでA2くらいのポスターが売られていました。画面の大きさがちょうどA3くらいに引き延ばされたピーマンの写真が刷られていまして、その間延びしたというか、大味というか、印刷は奇麗なんですけど全く魅力のない代物でした。今は全く見かけなくなりましたから、皆さん同じような想いがあったのではないでしょうか。

篠原 俊之

篠原 俊之

1972年東京生まれ 大阪芸術大学写真学科卒業 在学中から写真展を中心とした創作活動を行う。1996年〜2004年まで東京写真文化館の設立に参画しそのままディレクターとなる。2005年より、ルーニィ247フォトグラフィー設立 2011年 クロスロードギャラリー設立。国内外の著名作家から、新進の作家まで幅広く写真展をコーディネートする。

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