前回、文章を締めるために何か書かなくてはという義務感に駆られてうっかり「マルセイユはいいところです」とくくってしまったのですが、それはあくまでもゴミを捨てる側の観点のみから語った場合であってやっぱり全然いいところではありません。
とりわけ治安の悪さにおいては北アフリカで右に並ぶ地区はなく、治安取り組み優先地区にも指定されています。警察などあってなきがごとし。麻薬マフィアのほうが武装資金も上でどうみても警察のほうが負けていてあまりにも可哀想なので軍隊を投入してあげようじゃないか、という話も一時はありましたが、軍隊の人たちだって妻子もあれば先祖への義理立てもありマルセイユに来るのはいやなので、その話は棚上げになってしまったようです。
ちなみに警察は騒音や迷惑駐車では当然来ないし空き巣や強盗にあったぐらいでもなかなか来てくれません。DVごときでは「とりあえず誰か死んでからまた電話して」と言われかねない。なぜなら警察は殺人事件だけで手一杯なので来られないのです。最近、隣の建物に巣喰っているチンピラどものマルセイユラップの音がうるさいのでどうしたらいいか、とマルセイユ人に相談したら、警察に電話して「これからカラシニコフを持って奴らを殺しに行く。女子どもも無差別に掃射する」と殺人予告をすれば警察はすぐ来てくれる、なぜならあとで「おまえらが行かなかったせいで大量に人が殺された」と非難されると困るからだ、と教えてくれましたが、これでは下手すると自分が逮捕されてしまいます。
マルセイユは北アフリカと隣のヨーロッパにおける麻薬マフィアの総本山でもあり、近年、たいしたこともない女を横取りしただの麻薬取引でズルしただのナイトクラブの服装規制で入れてもらえなかったとかマクドナルドのコーヒーが熱すぎただのといった下らない小競り合いが原因の麻薬マフィアのチンピラの市街地での銃撃戦が絶えません。使用されるのは主にバルカン半島から大量に持ち込まれるカラシニコフです。お手軽なところでは500ユーロぐらいからの安心価格(2012年8月末現在。現行価格は自分で調べて)。iPhoneより安い。これならお金がなくてローンが組めない若者でも、適当に道ばたでiPhoneを強盗して売りさばけば簡単に買えるわけです。組織犯罪専門家は「ターゲットを絞った殺人に戦争用の自動小銃を町中で掃射するのは素人のやり方。多分アメリカのマフィア映画の見過ぎ。青い、青いねー。本当のマフィアっていうのはだなあ…」とヌーヴェル・オプセルヴァトゥールで蘊蓄を傾けていますが、多分、チンピラさんたちはそんな記事読んでません。
いずれにしても困るのは自動小銃での掃射では巻き添えが出る、ということで、地区によっては幼稚園や小学校も、銃弾が飛び交っているため、園庭や校庭で子ども達が遊べません。このように治安が思わしくないため、13歳まではカラシニコフ銃を持った親が必ず子どもに同伴し、家のドアから学校の入り口まで送り届けることが義務づけられています。13歳を超えると子どもにカラシニコフ銃(きちんと充填してあること)を持たせて一人で通学させることができます。もちろん運悪く射殺されたら自己責任です。
治安の次に心配なことは、シラミです。学校の連絡ノートを開くと、父兄に注意を喚起する「シラミ警報」が時々はってあります。
その表現が”Retour des poux”(シラミ再来)なのです。「学校にシラミが出ました」ではなく「学校にシラミが戻ってきました」。
つまりこちらのシラミというのは基本、学校に棲み込んでいるものなのです。子どもが学校から帰ってきたら毎日家に入る前に頭をチェックしなければなりません。
(ちなみにマルセイユの人は話が大袈裟で、その大袈裟さはよく「旧港をふさぐようなでかいイワシの話」で表現されますが、私がここで語ることは大袈裟でもなんでもなく、みんな本当です。本当ヨ。)
子が最近「Lちゃんシラミがびっしりいるのに、それを言っても『これはシラミじゃなくてシラミのタマゴ』っていって毎日そのまま来るんだよ。怖い」と不安がっています。
このような未開地だから仕方ないこととはいえ、一般的なこちらの子どもたちの衛生状況を見ると、やはり日本よりも流行りやすい土壌があるのだと思います。
まず、髪の毛を毎日洗わないのはこの国ではごく普通のことのようです。これに関してはどうやら社会階層を問わないようです。マルセイユは昔フランスだったことがあるので、フランスの風習が残っています。これはフランス人も余り知らないことですが、フランスという国は実は中世まではわりとみな清潔だったのです。とくに南のほうはローマの文化の影響で公衆浴場までありました。しかし中世にペストが流行してから、水というのは悪い病気を媒介するものであり、むやみやたらに毛穴を外気にさらしてはいけない、悪いものが入ってくるからだ、体を洗うのは体によくないのである、という考えがフランス人の頭に強く根付いてしまいました。その考えは今でも残っています。私もアトピーで皮膚科にいったら皮膚科医には「石鹸であらうな。浴槽につかるな。一日一回短いシャワーだけ」と言われました。フランス人女性は洗顔しません。化粧落としで拭くだけです。髪も毎日洗うのは髪が傷む、と思っている人はたくさんいます。もっとも日本と比べて水が硬い地域が多いので、日本の調子と頻度で顔や躰をあらっているとバリバリになってしまうのは事実なのですが。
日本では余りフランス人が不潔というイメージはないようですが、今でもヨーロッパ人の間では、フランス人=衛生観念が低いというイメージがあり、ヨーロッパの国民性の違いを表すジョークに「イギリス人の女性が税関でスーツケースを開けた税関員に7枚ものパンティをどうするのかときかれました。イギリス人女性は顔をあからめて『これは月曜日でこれは火曜日…』と説明しました。次はフランス人女性。12枚のパンティをどうするのかときかれ『これは1月、これは2月…』」。
話がずれましたが元に戻すと、人種指定して失礼ながらシラミ発生源は白いフランス人…とくに毛色の淡い方々(マルセイユでは超少数派で保護指定だけど)であることが多いように思います。上記のような歴史的文化的理由によりあまり髪を洗わない上に、まずシラミの白いタマゴは金髪だと目だちません(上のほうの子どもの話にあったLちゃんも金髪です)。発見そのものも遅れます。それにフランス人は添い寝をしません。赤ん坊の頃から、独立した子ども部屋にベビーベッドをおいて子どもを一人寝させます。だから子どもが学校でシラミをもらってきても、親にはうつらないので、親も痒い痒いさあ大変、ということにはならない。だから子どものシラミに気がついても面倒くさかったりすると対処を怠ってみたりするのです。また、離婚したフランス人家庭では1週間交替で離婚した親の間を子どもが行き来するというパターンが結構あります。こうした離婚後の平等育児が可能な家庭は、大抵両親ともに両方の家に子ども部屋を確保できる安定した収入・定時に帰れる職がある両親双方公務員か、もしくは高収入で時間の自由がきく仕事をしている家庭、つまりフランス人家庭に多いのです。添い寝でないしそもそも別寝室、バスルームまで別なので自分には被害がない、しかも「あと2日たてば子どもが離婚した相手の家に行く週になる…」となれば「この際気が付かなかったふりをしてシラミ退治はあちらにまかせよう」ということになりがち…超高学歴・時間とお金の自由のきく仕事・教育熱心・子煩悩なお父さんに、そのような告白をされたことがあって衝撃でした。
一方、アラブ・アフリカ人は「子は宝。部屋数足りないけどえいっ作っちゃえ」と子だくさんで添い寝をするはめになっていることが多い。日本人の場合も「川の字」という言葉もあるようにもともと子どもと添い寝の習慣がある上に、小学校中学年ぐらいでも本を読む時ぐらいは同じ蒲団に入ったりすることもあるので、子どもが学校からシラミを連れてくると親にもうつって被害甚大。また、髪の毛の色が濃いと、シラミの白いタマゴも目立つ。こうなると退治にとりかからずを得ません。
子の話をきくところどうやら毎日髪の毛を洗わないばかりかお風呂に毎日入らない子もごく普通に沢山いるようです。
ある日、子がこう言いました。
「ママン、どうしてワタシ学校に毎日違う服を着ていくの? あのねー。MちゃんもLちゃんもRちゃんもみんな毎日同じ格好なんだよ。みんなにどうして毎日服が違うのかきかれたんだけど、どうして? ワタシもみんなみたいに毎日同じ服着てきたいよー」
これはいくらなんでもマルセイユだけの現象だと思いますが、こんなところで育って大丈夫なのか、なんだか心配になります。
治安もシラミもそうなんですが、マルセイユでの子育てにあたって最大の懸念時は、マルセイユ訛りです。マルセイユの公用語はもちろんアラブ語ですが、昔フランスの植民地だったため、日常生活ではフランス語が使われる場面も多いです。そのフランス語に独特の訛りがあるのです。自文化中心主義に思われたくない人、たとえばパリのインテリ層のフランス人などは「マルセイユ訛りのどこが悪いんだ。大いに結構じゃないか!」と寛容主義をアピールするのですが、その実、心の底ではみんな「だっせー発音。自分は絶対感染したくない。自分はマルセイユで子育てしないで済んでよかった。子がマルセイユ訛りになんか感染したら末代までの恥」とひそかに思っています。地元マルセイユでもみんながマルセイユ訛りを馬鹿にしていますが、なにしろ感染力が強いので、マルセイユに1ヶ月もいれば自分は大丈夫と思っていてもいつのまにか感染しています。自覚症状もないので要注意です。
子「ママン、先生がね、ドゥメーィンっていうかわりにドゥメーィンっていうんだよ、。ひどいマルセイユ訛りだよね。ハハハ」
母「あら、あなたも訛りがうつってるわよ。ドゥメーィンじゃなくてドゥメーィンでしょ。ホホホ」
マルセイユ訛りの一例として、たとえばDemain(「明日」)という言葉をとりあげてみましょう。日本語では「ドゥマン」に近い音)をdemaing(日本語では「ドゥメィーン」)と発音します。この他、[k]と発音するべき”c”を発音しなかったり、など、いくつかの特徴があります。
はっきりいって私たち日本人にはアラブ訛りのフランス語とまるで同じにしかきこえないのですが、マルセイユ人たちは「アラブと一緒にするな。アラブ訛りとは全然違う。まあ僕はマルセイユ訛りはないけどね!」とマルセイユ訛りで主張します。ちなみにマルセイユ人は見た目も私たち日本人からみるとアラブ人と全く区別がつかないんですけど、それを言うとみなさん怒るので言いません。
とりとめなくなってしまって、どう締めていいかわからないのですが…
まあそんなわけで、よく考えてみるとマルセイユが天国だと思えるのは分別フリーのゴミ捨ての瞬間だけなのです。