「ひなたの本当のあたたかさは、いつも日陰のとなりにいること」
仕事場に向かう冷たい風の吹く道で、
たてものの隙間から差し込む光を見ながらそんなことを思った。
その光は、影との柔らかなコントラストの中で自分を含む世界を歓迎し、
自らの存在を誇示することによってではなく、
自分とは異なる存在の隣にただひたすら“居る”ことによって生まれる強さみたいなものを持っている。
ひなたがひなたとして温かみを持つ時、
その隣には例外なく日陰がある。
そのまだらの構造自体がひなたの強さなのである。
そんな存在を僕も歓迎したいと思う。
境界線と、境界線の内と外での軋轢、そのぜんぶを受け入れて温めるもの。
身勝手な好みだと思われるかもしれないけど、
僕らのもとに生まれてきた君に「日向子」という名前をつけた。
その日の君は、僕などまったく立ち入る隙もないほどに、
動物的で、近よるのもこわいほどに神々しく、
僕はただ宇宙の隅で君がこの世界に渡ってくるを見ているだけだった。
宇宙の壮大な物語のようでもあり、
日曜日の晩のささやかな宴のようでもあった数日間のことは、
一年経ったいまでも昨日のことのように思う。
きっと僕はこの日々のことをこれから何度も思い出していくのだろうと思う。
少しずつ忘れかけていく記憶のなかで、そのたびに記憶の断片を探し集めながら、
その時の様子や、感じていたことを丁寧に君に話していくのだろうと思う。
そうしようと思う。
そのとき君はどんな目をして僕の話を聞いてくれるだろうか。
そのとき君の体はどんな匂いを放っているだろうか。
そのとき君はまだ今みたいに宇宙とつながっているだろうか。
妻が買い物に出かけている。
これを書いている僕のすぐ近くで、君は小さな寝息をたてて昼寝をしている。
ようやく春めいた風がよせてきて、
わが家の立てつけの悪い窓ガラスを揺らしている。
窓からの光は部屋の中のいろんなものに反射して、
寝ている君の近くにまだら模様を描いている。