専門学校を卒業した年だから、あれは2006年。
その頃フリーターをしていたわたしは、夕方からのアルバイトまでの時間をつぶそうと
自由が丘のヴィレッジヴァンガードに行った。
いろんなものが天井近くまで積まれた島をいくつか眺めながら、
ぱっと目についたのが、トイカメラコーナーだった。
本当に写真なんて撮れるのかあやしいような真っ黒くて四角いプラスチックの山を眺め、
その山の下に置かれた入門書のような本を手にとった。
今まで写真を家族や友達と撮る「記念写真」や「スナップ写真」としてしかとらえていなかったわたしには衝撃だった。
その本に載っていたのは、わたしのアルバムにはいっている長方形の写真じゃくて真四角の、不思議な色をしたもので、
「この真っ黒くて四角いプラスチックを使えば、わたしにもこんな素敵な写真が撮れるの?」という好奇心から「…買ってみようかな」とは思ったものの、
どうやらいくつか種類があるようなので本だけ購入して目星を付け、
さっそく次の日にまた同じ場所へ足を運んで、そのなかのひとつを手に入れた。
HOLGA120FNだった。
布団に潜ってブローニーフィルムをセットする姿も滑稽だし、
出不精なわたしが外に出かけたくてうずうずするなんてことは今までなかったし、
試し撮りをしてはじめてプリントからかえってきた写真は撮れていないものがほとんどで、
辛うじて写っているものをみても散々だったけれど、
嬉しくって、楽しくって、しかたがなかった。
それからしばらくはひとりで写真を撮ることを楽しんでいたけれど、
だんだん共通の趣味の友人が欲しくなるもので、SNSをつかって交流していく中で、
あるコミュニティの集まりへを顔を出すことになった。
そこから交流は広がったり、縮まったりしながら、
わたしはどうも周りの人たちのような、
写真に対して真摯に向き合う姿勢も才能も足りなすぎるなぁと気づいて、
あまり撮ることはなくなったけれど、
写真から派生した繋がりは姿をかえていき、
わたしにとってかけがえのない友人たちを与えてくれた。
それは、
学校や職場以外で友人をつくることができるなんて知らなかった人見知りのわたしが、
自分から繋がることを求めて飛び込んだ先でできたはじめての友達だった。
皆それぞれが素敵で、たまにわたしの持っているものの小ささに怖じ気づいてしまったりするけれど、
なにかある度に集まって、いろんな話をして、「またね」と別れる。
あの時、真っ黒くて四角いプラスチックを手に取らなければ、繋がることはなかった。
繋がった今だから、その時の行動が尊いもののように言えるけれど、
きっと別の行動をしていれば、また違った先で繋がったものをそう思っただろう。
だけどわたしには選んだ行動しか知る由がないので、やっぱり尊いものだと思う。
HOLGAは今は壊れてシャッターを切ることができなくなってしまった。
だけど、
友人たちと「またね」と別れる度に、
そんな尊い友達がいることを、
今は写真を撮らなくなったわたしが、
HOLGAを手にしたばかりのわくわくしているわたしに、
誇らしげに照れてみせる。