その瞬間に過去になり、今の姿を閉じ込めたまま、未来にのこっていく。
僕は、写真の持つそんな力にとても惹かれる。
写真を通すことで、時間を自由に行き来することができるからだ。
僕が思い出せる最も古い記憶は、30年以上前のことになる。
あの時、どんなふうに光が射していたか、どんな音が聞こえたか、
どんな風が吹いて、どんな匂いがしていたか、今でも鮮明に思い出すことができる。
これは僕が幼稚園だった頃の話だ。
ある日、帰り道にバイクの乗って走る叔父に突然出会った。
彼は僕を見つけるや否や、真剣な表情でこう言った。
「おじいちゃんが、死んだぞ。 」
季節は、春になったばかりで、道ばたの蒲公英が風に吹かれ控えめにその首を揺らせていた。
そのまわりには不安定な軌道を描きながら紋白蝶がひらひらと飛び回っているのが見えた。
僕は眩しさで目を細めながら叔父のほうを見上げた。
朗らかな陽気の、ゆっくり流れる時間のなかで、僕はただ黙ってそこに立っていた。
彼は、僕を後ろに乗せて集落の一番高いところにある家までバイクを走らせた。
この日の記憶はそこで終っていて、その後のことはよく覚えていない。
なぜかは分からないけれど、祖父の死を告げられたその瞬間のことだけが鮮明にのこっているのだ。
祖父は若い頃、とある駆逐艦の信号士だった。
といっても、僕と二つ歳のはなれた兄にとっては、
元軍人の怖い人ではなく、やさしい「おじいちゃん」だった。
祖父と僕たちはよく鬼ごっこをして遊んだ。
幼い僕たちはいつだって本気だったけれど、祖父はいとも簡単に僕たちを見つけてしまう。
「なんでおじいちゃんは僕たちをすぐに見つけられるんだろう?」
兄と僕は、いつも不思議に思っていた。
僕は、その時あまりにも幼かったので、祖父が死んだことに関して、
ほとんど実感というものがわかなかった。
ただ、今では、祖父との記憶は、彼が死んだ時のままで終わっているからだろうか、
彼のことを思い出すときはいつでも幼い頃の自分に戻ることができる。
祖父の遺品は、祖母の部屋に(きっと)大切に保管されているけれど、
家の古い机の引き出しの中には海軍時代のバッヂや勲章が無造作にしまってあった。
それはきっと大切なものなのだろうけれど、
何も知らない僕たちはそれを誇らしげに胸に貼りつけて、
戦争ごっこをしてよく遊んだ。
家には、祖父の若い頃のアルバムが全部のこされている。
僕は時間を見つけては、そのアルバムを棚から取り出して眺めるのが好きだった。
ページをめくり、祖父がアジアのどこかの街や駆逐艦の甲板に佇む姿を見つけた。
写真のなかの祖父は軍服を身につけ、その表情は凛としていた。
そこにいる祖父は今の僕よりずっと若いのかと思うと、奇妙な気分になる。
たったひとつ、僕に戦争のリアリティを与えてくれたのは、
祖父が信号士として実際に使っていた双眼鏡だった。
僕は祖父がのこしたその双眼鏡でいろんなものを見た。
遠くに見える山や空を飛ぶ鳥や飛行機、いろんなものだ。
黴や汚れで曇ってしまったファインダーは
すでにその仕事を果たせなくなってしまっていたけれど、
手にしたときのずっしりとした重みに、
僕は戦争の凄みを微かに感じとることができた。
何十年も前に、祖父がそこからのぞいた世界は一体どんなものだったのだろうか?
僕は結局、祖父の口からは戦争の話を聞くことはなかった。