BRONICAという真四角の写真が撮れるフィルムカメラで
父は 母と幼き頃の私を写していた。
古いアルバムには このカメラで写されたモノクロ写真が何枚も貼られている。
しばらくして父はこのカメラを写真好きの叔父へ譲り 何十年という時を経た。
七年前、父が亡くなった。
一周忌の時だったろうか、たまたまその叔父にフィルム写真を撮っていることを話すと
何十年も使っていないので写るかはわからないけれど、父から譲り受けたカメラがある、と。
幼き頃の私を写したそのカメラは、何十年という時を経て私の手に渡ることになった。
まわり道をして私の手元に戻ってきた、なんだかそんな風にも感じている。
写真というのは写した瞬間から過去のこととなる。
幼き頃のアルバムを眺めていると頭の片隅にあったのかさえも憶えていないような記憶が
ぼんやりと浮かんでくる。
先日、映画監督の森崎東さんのドキュメンタリー番組を観た。
監督自ら認知症の病に立ち向かい記憶を辿りながら作品を作り上げていく。
その中で記憶は愛であるという言葉が何度も繰り返されていた。
写真として記録されたものが記憶として過去を蘇らせること。
色褪せた写真に、その時間その場所にいて、生きていたという証を感じながら
「記憶は愛である」という言葉が交差していた。