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砂漠の夜は火、つながれない犬

それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。

冬がやってきた。人々が「師走」と口にするそばから残された時間が零れていって、今にも最後のひと雫が消えてしまうような気持ちがする。慌ただしさで街が活気づくと思い出される短編が、江國香織の『つめたいよるに』の巻頭に収録されている「デューク」だ。

同じく暮れ迫る12月、飼い犬デュークを亡くしたばかりの女性の前に突如現れた見知らぬ男の子との、短いデートのお話。通勤ラッシュの電車のなかで泣いていた女性に男の子は席を譲る。女性がお礼にコーヒー(とオムレツ)をご馳走したことをきっかけに、半日ばかりをその男の子と過ごすことになる。けれど、そのあいだ何度もデュークのことを思い出す。どことなく、似ていたのだった。

わずか8ページのこの短編を読み進めるなかで、この男の子はデュークだと勘づきながらも魅了されてしまう。ロマンチックで悲しくて、それが12月の街によく似合うのだ。自分だけの悲しみに気を留めてはくれない、誰もが忙しげなこの時期に。

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私が人間の姿をしたデュークを想像するとき、以前なら小説が言うまま「すねた横顔がジェームス・ディーンに似ている」青年を思い浮かべた。だけど今はイスラエルで出会ったシモンのことを思い出す。彼が愛犬を溺愛していたことが強烈に印象に残っているからかもしれない。それとも、眉間を寄せながら話す彼自身がどこか犬に似ているから? とにかく私たちは作品同様、思いがけずに出会った。

つないでくれたのはダンサーのかきざきまりこちゃんだった。シモンはもともと彼女の友人であり、ポートレートを撮影したこともある写真家だ。彼は「イスラエルでもっとも美しい場所」のひとつである砂漠の町ミツペ・ラモンに住んでいて、そこに行くなら彼を頼っていけばいいと提案してくれた。

数日後、テルアビブから長距離バスを乗り継ぎミツペ・ラモンに到着した。降り立ったバス停はシモンの自室のある団地の近くにあり、恐る恐る着いたことを彼に電話すると、見上げた窓の一角からドレッドヘアのシモンが手をひらひらと振っていた。

5分後、私は陽のよくあたる気持ちのいい部屋でシモンが丁寧に淹れてくれた美味しいお茶を飲んでいた。甘さをほのかに感じる爽やかなハーブティーは砂漠の町によく似合う。それを作家ものだとわかる感じのいい陶器に淹れてくれたのを見て、長旅の疲れが一気に癒える気がした。静かで柔らかい瞳を持つシモンの横で、黒い犬のチュパが突然の来客に落ち着かなそうにしている。

30分後、ネゲヴ砂漠の絶景が見られるラモン・クレーターに向かうために一度部屋をでることに。さっき来たばかりの私に「僕もちょっと出掛けるから」と合鍵を渡すシモン。「玄関を開けるときはチュパがドアをすり抜けないように気をつけてね」と言われたものの、その時にはどういう風に気をつければいいのかあまり気に留めないままだった。

だから数時間後、すっかり暗くなった団地の玄関で事件は起きてしまった。真っ暗の部屋の中にすっかり溶け込んでいる真っ黒のチュパが、ドアを開けた途端に滑り出してきて、私の呼びかけに一切答えることなく、逃げ出した! ストーップ ストーップ! チュパ! プリーズ! 懇願しても逃げられるばかり。道路には少ないけど車も通るし、町の人たちも「何事だ」とばかりに出てきてくれたけれど、誰もおてんばチュパを捕まえられない。パニック状態でシモンに電話をすると、「OK、すぐいくからね」と言われたものの一体どこにいるというのか。そうしているうちにチュパがその日一番のダッシュをかけて走り去っていく。私も叫びながら追いかける……とその先にシモンが立っていた。

チュパは家のすぐ近くで実家の犬の散歩中だったシモンを探していたのだ。すっかりその犬にヤキモチを妬いていて、なにか吠えまくっている。一方の私は状況が理解できずに息も絶え絶え、逃してしまったことを謝ったけれど、シモンは穏やかに「ラモン・クレーター、どうだった?」と聞くだけで、いがみ合う犬たちを宥めながらしばらくそのまま散歩したのだった。焦って出てきてまだ家の鍵、ドアに刺さったままで……と打ち明けても「え、そうなの?」と答えるだけで別に急がない。取り乱さないシモンは、部屋に帰るとまたお茶を淹れてくれた。すっかり機嫌を直したチュパを少しだけ恨めしい気持ちで眺める。ただ私の言うことなんて当然、聞き入れるつもりはないのだ。

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その日の夜、シモンが友人たちと原っぱで火を囲むと言うので付いて行かせてもらった。夜の砂漠の町は昼に増して静かで、原っぱ周辺は車のヘッドライト以外の明かりは見えない。そして、ものすごく寒い。昼間は暑かったのに、夕方から急に寒くなってきて、夜はアウトドア用のアウターが必須なほどだ。原っぱにポツリと火のようなものが見えて車を降り、原っぱをぐんぐん歩く。その日は満月で、大きい煮卵のような月が砂漠の夜を覆っていた。星は見えないけれど、そのぶんだけ静かな夜だった。

火を囲みながら中東の蒸留酒アラックを飲んでぽろぽろと話したり、寝っ転がったり、引き語りを聴いたりするというのを彼らはたまにするそうだ。凍えるように寒い砂漠の夜にこうやって火を囲む人たちがいるんだ、と思うと胸が詰まるくらい羨ましく感じた。美しい歌声をもつ友だちがギターを鳴らす。やかんで淹れた熱いお茶やアラック片手に談笑したり、翌日に開催される選挙を憂いだりする。ふと見やると、その日の朝にエジプト旅行から帰ってきたばかりで疲れていたシモンはイモムシのように毛布にくるまって寝ていた。

夜のラモン・クレーターはただ丘や岩のシルエットがうっすら見えるだけの広大な暗闇で、頭上にはぽったりと月が輝いて。ずっとずっと昔の砂漠の人間も、きっとこんな風に夜を過ごしたんだろうと思った。リードにつながれることのない彼らの飼い犬たちが延々と夜の原っぱを駆け巡っていた。

0時をまわる頃、お開きになったので申し訳ない気持ちでシモンを起こし、5分ほどのドライブで家路に着いた。翌朝、早朝から始まるシモンの撮影にお供させてもらうことになっていたけれど、冷え切った体を熱いシャワーで温めたおかげで(それにその日は随分走ったので)すとんと眠ってしまった。

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以来、美しいと口にするとき私はなんとなくその夜を思い浮かべている。デュークからシモンを思い出すように。

私が垣間見た、穏やかでのんびり屋な、言葉のひとつひとつを零すことなく扱うシモンが好ましかった。そういえば、彼みたいな中〜大型犬をよく知っているような気がする。彼が淹れてくれるお茶をまた飲みたいなと思いながら、今月彼に気に入りの焙じ茶を送った。イスラエルの郵便事情は悪くなさそうだけど、ホリデー・シーズンもあって時間は掛かりそうだ。焙じ茶は寒いところで飲むと特別に美味しいから、きっと彼も気にいるだろうと考える。

「次は星が見える新月の頃に火を囲みましょう」と一筆添えて、一年で最も活気のある近所の小さな郵便局に小さな贈り物を託した。

松渕さいこ

松渕さいこ

編集者/インテリアショップスタッフ 東京在住
お年玉で水色のテーブルを買うような幼少期を過ごし、そのまま大人になりました。自分のお店を開くことが目標。旅/器/音楽を聴きにいく が特に好きなこと。最近チェロを習いはじめました。

Reviewed by
ぬかづき

ちょうど、砂漠で焚き火をすることについて思いを巡らせていたところだった。田中真知さんの『孤独な鳥はやさしくうたう』という本のなかに、ナミビアの砂漠でたきぎ拾いをして焚き火をする話が出てくる。砂漠でする焚き火は「祝福に満ちた安らかな弔い」であり、朽ち果てて砂漠に散らばり、埋もれてしまった枯れ枝を、焚き火によって炎に変えて天に帰す営みだと表現されていた。何万年も昔のわたしたちの祖先も、火とともにあり、今よりずっと荒削りな世界のなかで、枯れ枝たちを天に帰していただろう。

師走の東京の街からイスラエルの砂漠まで、旅は想いを結びつける。そしてそこでは、穏やかな短編映画のような、日常生活のなかでは思いもかけなかったようなことが起こる。逃げ出したチュパの先に待っていたもの、砂漠の夜、大陸を超えていくほうじ茶、まるでクリスマスプレゼントのような、楽しくて美しいできごと。

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