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優しく愉快でちぐはぐな。

それをエンジェルと呼んだ、彼女たち。

まだ出会って1年ほどしか経っていない彼女とは、いつもちぐはぐな場所で会う。いるべき場所としなきゃいけないことの隙間にある、ぽっかりとした時間を共有することが多いからだろうか。もちろん、私にとってはということなのだけれど。

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そもそも、彼女はひと所に止まれない生活をしている。公演のために世界を飛び回るダンサーだからだ。出会って以来、そのダンスを観てみたいと思っていたけれど、残念なことに日本では彼女の所属するカンパニーのダンス作品を観るチャンスがなかなかない。だから、昨年は彼女の公演を取っ掛かりにイスラエルまで行ってみたのだ。彼女に現地の友だちを紹介してもらって一緒に遊んだり、彼女が講師をつとめた一般向けのダンスレッスンを受けてみたり、一緒にマーケットに行ったりするうちにすっかり馴染みたくなってしまう旅だった。

体を動かすことを億劫に感じがちな私がダンスの国でダンサーたちと接しながら、ときに自分もダンスをして過ごした2週間。それは、居心地良いちぐはぐだった。自分が実のところ心の中だけでちょっと好きだと思っていることを思いがけず教えてもらうような。これまでは行き先にイスラエルを思い浮かべてみることもなかった。彼女の旅人生は私の見たいと思うものにも変化を与えてくれる。

このお正月は久しぶりに帰省した生まれ故郷の秋田で彼女と再会した。偶然にも、私たちはどちらも家族や親戚が秋田に住んでいる。私にとっての秋田は幼い頃からずっと親戚に会うために訪れる場所だけれど、実は以前から友だちを連れて訪ねたかった場所があって、今回彼女は一緒にそこを訪れることを快諾してくれたのだ。

元旦をそれぞれ祖父母や家族と過ごしてから秋田駅で待ち合わせ、さらに鈍行で1時間半弱。東京やイスラエルで会った彼女と今度は雪景色のなかふたりとも初めて乗る電車に揺られていた。ふと、ちゃんと待ち合わせして会えたことを奇跡みたいに感じる。でもそれは会っている場所の珍しさや彼女の忙しさが理由じゃない。

ただでさえ仕事で移動ばかりなのに日本にいても長距離移動して家族やおばあちゃんに会う時間を取るの大変じゃない、好きな旅行以外のことになるといつも気も腰も重くなる私は電車のなかで彼女にそう尋ねた。彼女は、たまに会って数時間話したとしても離れて暮らすおばあちゃんたちとの時間は実のところ合計何日分もないのかもって考えると会って話がしたい、というふうに答えてくれた。世界中あちこちの時間を行き来して、プラス何時間、マイナス何時間、という生活だからこそ時間への意識は強いのかもしれない。誰かに会いに行くというのは、優しい贈りものだと思う。

自分だけの時間が必要なのは誰でもそうだと思うけれど、その時間に優しさを添えて手渡しで贈る彼女のやり方は温かい。自分や相手をがんじがらめにしないまま、手を抜かない。彼女の温かさは余計な言い訳を考えるよりも早く心にまで届いてしまうので、思わず素直になってしまう。そして彼女のように人や感情と向き合ってみたくなる。それは柔なままではきっと難しい。

真っ白を見せる車窓を目の前に眺めながら、“でも雪が舞い降りてくるのを見ているあいだは、時差がないまま、時間の進み方が少し鈍くなる”と考えて、雪国の冬を一緒に見るのが彼女とで嬉しいと思った。おーい雪、できるだけゆっくり降れ。

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駅の待合所にストーブが焚かれている懐かしい風景を横目に、そこからタクシーで目的地ぎりぎりまで連れて行ってもらう。そこは急な坂を上がったところにあるので雪道ではタクシーもお手上げだったのだ。タクシーを降りると、背の高い、綺麗な髭をたくわえた見覚えのある男性がジープに乗って迎えにきてくれていた。私の祖母の長年のステンドグラスの師匠、油井先生だ。先生と奥さんがステンドグラス工房やゲストハウスを営む「あさひの森」こそ、私がずっと友だちと訪れたかった場所だった。

30年前にご夫婦と仲間たちの手で水道や電気を引き、丸太で小屋を建て、ステンドグラスの製作をしながら暮らしはじめた場所というだけでも興味が湧くけれど、ここの魅力はそれだけではない。敷地では地鶏や比内地鶏、烏骨鶏が飼育され、ワインづくり、養蜂、陶芸体験窯、ピザ窯まである。ないもののことなんて気にならないほど、ここに存在しているものの生命力は強い。作品のモチーフも森のきのこや川魚、鳥などここから生まれたことのわかるものばかり。

雪の明るさが家のあちこちに設えられた作品の鮮やかさを引き出していて、ステンドグラスを美しく見せるのが陽光ばかりではないことを思い出させた。色の温かさは室内で過ごす時間が長い冬こそ人を励ますんだろう。家のあちこちに残る手作りの跡。ひとつひとつ違うモチーフで彫刻されたダイニングチェア。薪ストーブのまわりで話をしながら、自家製のハーブティーや地元の美味しい水で淹れられた珈琲で自分の体が室内にゆっくり溶けていく心地がした。

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でも、私は本当はちょっと緊張していた。ご夫妻に最後に会った学生時代と比べ随分自分の人生が変化していたこと、きっかけとなった祖母なしで会いにきていること、代わりに心強い友だちと一緒にきていること。そして先生ご夫婦と私をつなぐキーワードは僅かしか持ち合わせないまま、それでも必ずまたここを訪れたいと思い続けてその日が実現していたこと。そんな「ちぐはぐ」に緊張していたのだ。

連れてこられた彼女のほうはどうだろう。そこでも、彼女の語りは変わらずまあるく漂い、意志を持って響いていた。私だけでなくご夫婦も彼女の言葉に引き寄せられているのを感じた。たぶん、どんな人・どんな場所を前にしても大きくなったり小さくなったりしない。そういう語りは、ちぐはぐにどぎまぎする私の心を優しくひと撫でしてくれる。ダンサーは等身大ということを身を以て知っているのかしら、と思う。私の場合、数字以外の術で自分の身の丈を知っているかはかなり怪しい。

ちぐはぐは、それを一緒に笑ってくれたときにも、隣で笑わないでいてくれたときにも、いずれ愉快さに変わるものだと最近気がついた。イスラエルではそこに居るちぐはぐを一緒に笑って喜んでくれた彼女が、秋田でぽっかりと浮かんだちぐはぐを今度は笑わずに温めてくれた。私を緊張させたちぐはぐは、いつの間にかその場にいる理由を与えられ、すっかり納得して存在していた。

滞在中、いくつもの作品がそっと室内を彩る部屋で「ステンドグラスの灯りってロウソクの火みたい」と彼女は零した。揺らぎと等身大を行き来する身体に漂うあったかさ。その一晩を振り返る今、私は彼女自身がダイニングテーブルを優しく照らすロウソクだったと思っている。

松渕さいこ

松渕さいこ

編集者/インテリアショップスタッフ 東京在住
お年玉で水色のテーブルを買うような幼少期を過ごし、そのまま大人になりました。自分のお店を開くことが目標。旅/器/音楽を聴きにいく が特に好きなこと。最近チェロを習いはじめました。

Reviewed by
ぬかづき

気持ちと調和した時間は、効率とかコストパフォーマンスとかいった概念を超越する。会いたい人のところへ行っておしゃべりしたり、本当にしたいことに打ち込む時間は、たとえ、移動の時間がおしゃべりの時間よりずっと長かったり、地味な作業ばかりで遅々として進まなかったりしても、その全体が愉快であり、後で思いかえすと愛しいものに感じられてくる。

社会のなかで暮らすということは、多かれ少なかれ、自分の時間の使い方を他人から決められてしまうということでもある。他人から決められた時間に自分の気持ちを調和させる感覚を身につければ社会生活が楽になるけれど、その感覚に浸かりすぎると今度は、自分の手持ちの時間を自分の気持ちに調和させていくすべを忘れそうになる。

だからこそ、いつなんどきにも自分の持っている気持ちと時間を自分自身で調和させられる力を持つ人は、魅力的に見える。さいこさんの描く、ひと所に止まれない生活をしている「彼女」のように。気持ちと調和した時間の優しさは、その時間をともにする相手にも浸透していき、その時その場を愉しいものにする。

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