本を読むこどもだった。
小学校の最初の三年間の放課後を、学童保育に通ってすごした。
その前を保育所で過ごしたわたしにとっては、息苦しくもわかりやすい共同の生活。
授業が終わるとまっすぐ。学校の敷地内、隅の隅に立てられたプレハブ小屋に向かう。
体育館の隣に立てられた建物は、通っていない子たちを寄せ付けない見えない線があって、
いいなあと友人たちが帰りながらつぶやくのを聞いたこともある。
靴を脱ぎ入ると一間、柱もない箱のようななかに、妙に生活感をたたえたキッチンと畳と板間。壁には鞄置きの棚と本。
決められた時間までは宿題を、終わった子らは自由に遊んで、集合がかかるとおやつの時間。片づけをしたら全体遊びの時間。
青と白の帽子をかぶり、全員でドッジボールやグーチョキパー、缶けりに影踏み鬼。
団体行動が苦手なわたしがそれでも大人数での遊びがすきなのは、きっとこの記憶のためなのだろう。
季節ごとに、発表会や催しがあり、けん玉やこま回しや竹馬に全員で取り組むのが年度末。思えば必死で遊んでいた。
夕方五時のすこし前、残り五分を消化するために先生が行った空想かくれんぼがだいすきだった。
雨が降ったら置き傘を借りて帰るのだけど、じゃんけんで負けるといったいいつだれが置いていったのかわからないピンクのひらひらのついた小さな傘が割り当てられて、なんの罰ゲームなんだと笑いながらまわりのこらと水溜りを踏んだ。
*
そういう場所にいて四年生を迎えたとき、あっさりひとりになってしまった。
もともとが三年生までの受け入れだった場所は、四年生になったとたんよそよそしく振舞いだした。
学童の先生たちは最初こそのぞきにくるわたしを笑って迎えてくれたけど、あなたは卒業したのだという声が笑顔の向こうから聞こえてきた。
遊ぼうと声をかける友人たちに、知らぬ間に組み合わせのようなものができていて、ペアになってくれそうなこたちは残っていなかった。
そういえばクラス内の派閥のようなものがそのころからもう苦手で、どこにも属さないぞと言い張る自分はきっとこうもりだと思っていたっけ。
家にあったイソップ童話の絵本のこうもりは、鳥にも地の動物にも媚びてどちらからも追い出されて泣いていた。
家でともだちと遊べないと泣くことが増えたわたしをある日、父が連れ出してくれた。
その行き先が図書館だった。
自転車で十分とかからないところに、ひとつ図書館がある。
この市には、全部で五つ図書館があって、(うちのひとつはどうも最近別の場所に移動したそうなのだけど、)
わたしはそのなかでもこの近くの図書館がいっとうすきだ。
すきだと思っていたのか、その後毎日通うようになってすきになったのか、実は定かではない。
大きなエントランスは自動ドアで、通るたびのんびりしたポーンという音がする。
二階への階段を上れば学習室と視聴覚室があるらしい。ほとんど利用したことのないことのないその階段を仰いでもうひとつガラスの自動ドア。
足音がすいこまれる絨毯の床を踏んで、とたんに静かな世界がひろがる。
入り口から入ってすぐの開けた真ん中に柱があって、そこが建物の中心だ。
まっすぐ進めば一般図書のの開架室。机もソファも木の椅子も出窓もあって、裏手の広い池まで見渡せる。
右へ行けば棚も机も椅子も低い児童図書の開架室。
その間をどちらでも対応できるように、貸し出し返却のカウンター。
入っていつもすぐ右へ曲がる。
外国のおはなし高学年むけ、の本棚を探す。
それから、棚のいちばん端から背表紙のタイトルをひとつひとつ目で追う。
児童図書というのが、長く、わたしにとっての本のすべてだった。
図鑑はこわくて図書館で開くことはまれで、
雑誌も本だという認識がなく、
なぜだろうか、一般図書の本棚がまるで壁に見えたのか、
そこにいる無心に本を追う大人が怖かったのか。
美術の本棚以外では、そちら側へ行くことがなかった。
窓際の、窓の外並ぶ木々のちょうど陰になる低い椅子。
ひとにみつからず、それでいて全体を眺められる、安心の場所。
*
図書館に通うこども時代なんて言うと、それだけでひとつお話が浮かびそうだけど、
記憶にあるのは、物語へのあこがれと失望と、通うたびより深くなっていくひとりぼっちの影。
それも含めて、「お話」になってしまうのかもしれない。
読んだ本のほとんどの主人公がこどもだった。
完全なSFも、不思議な話も、これも現実なのだろうなと思わせる題材も、いくつもいくつもあったけれど、
こどもがいて大人がいて、その世界の現実があって、試練があって、乗り越える過程があって、
こどもたちはみんな読み終えるころにはどこか成長していた。
いつもなにかが起こって物語は始まる。
なぜこのこどもらのところにはこんなふうに乗り越えるべき試練が現れてくれるのだろう?
それを助け、また認めてくれる大人がいるのだろう。
このこらのようにその後の成長がわかっていたなら、わたしだってよろこんで扉を開けよう。
その苦難を受け入れよう。
ああ苦しい。わたしはひとりぼっちじゃないか。
いつになったらわたしの冒険は始まるんだ。
孤独に酔うって、きっとあんな感じ。
本を開いてその世界に入ってしまう話を読んだ。
主人公が終盤帰ることを決意するたび、どうして?と思った。
その世界で生きることをなぜ決断できないの?
大事なひとも友人も、みんなそこにできたんだろう?
帰らないで。そこにいて。物語を終わらせないで!
読み終わって、本を閉じて、悔しくてたまらなかった夜が何度も何度もあった。
終わるのがもったいなくて、残りのページ数を確認したり。
もっと続くと思っていたら突然終わって、解説になってしまった時の絶望感。
まだ終わらせる準備をしていなかったのに。
*
*
図書館へ連れて行ってくれたのは父。
物語を読む喜びを語ったのは赤毛のアンがだいすきな母。
兄より早く読み終わりたくて必死になり、
内容を妹に聞かせたくて筋を追った。
毎回おすすめの本を教えてくれた司書さん。
読み終えるのが泣くほど悔しい本たちが、わたしの足を何度でもそこへ運ばせて。
毎日通った坂道。
何も起こらない贅沢な日々。
本を読むこどもだった。