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2F/当番ノート

誕生日について

当番ノート 第14期

誕生日を迎えた。

33歳。
そんな年齢になったなんてやはり実感があまりない。私は相変わらず子供だ。
周りの同じくらいの世代、上の世代の人もそれぞれ子供な面をみることは多い。子供の時には、33歳なんて完全に大人で、自分とは全く異なる存在で、ただただ別な存在な存在として仰ぎ見るものだったから見えなかったのだろう。同じ標高に登るとこの年齢でもそれほど完璧な存在にはなかなかみんななれていなと分かる。

誕生日はどこの場所でも大切な日。新しく命がこの世界に誕生するのに歓びを感じるのは世界中どこでも同じなのだろう。クリスマスはイエスキリストの誕生日だ。日本では天皇陛下の誕生日は休日になっている。Facebookをしていると毎日のように知り合いの誰かの誕生日を知らせてくれる。気がついた時は「おめでとうございます」と書き込むようにしている。いろいろ不平等な世界だが、誕生日は等しくそれぞれ1つ。自分が祝福される存在だということを担保されているみたいに。

誕生があれば死は必ず訪れる。命日もまた人それぞれに等しく1つ与えられているものだ。父は母、大切な人、自分自身もいつかは死にこの世からいなくなる。誕生と死という、言葉にすると何とも表面的だが、そんな「サイクル」の尺がこの歳になってやっとすこしだけだが分るようになって来たように思う。10代の時は考えもせず、20代の時は全く見えなかったそういうものがすこしだけ観えてくる年齢だと思えてくる。
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写真は私が小学校4年生の時に亡くなった祖父の写真からつくった作品とガラスに映り込んだ私の影。祖父が「最後の日」を迎えるあたりだったろうか、病室で兄弟三人でひたすら泣いたことをいまだに覚えている。あれからいろいろ泣くことはあったけど、あんなに泣いたこと自体を鮮明に覚えているのは他にない。

キリストや天皇陛下の存在はこれからもずっと忘れられないだろう。
でも、祖父はただの人。たぶん彼を知っている人はもうこの世に数える程しかいなくて、私が死ぬとき彼の存在は完全に「記録」に移行する存在だ。

しかし、そうした祖父の写真を私がこうして作品とすることで「記録」を越えて彼の存在を残すことができたらやはり嬉しく思う。生まれてから死ぬまでの尺は心身の生命次第だが、作品としての生と死はそことはまた別の時間軸にある。祖父が作品となる誕生に私は立ち会ったが、その死は見届けることはなさそうだ。それは少し怖い一方でとても嬉しい。

祖父はまさか自分の写真がパリで展示されるなど考えもしなかったろう。
1945年に呉駅のプラットフォームから原爆を観た祖父。
彼がいたから私がいるのだという当たり前のことを改めて有り難く感じる。
作品と影だが一緒に写真に納まるとやはり嬉しい◎

作品としての祖父は誕生からもうすぐ4年だろうか。
どこまで生きてくれるのか。
できればとても先の世界まで生きていってほしい。
私の子供の子供の子供の子供の子供くらいのときまでは生きていてほしい。

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澄 毅

澄 毅

写真で作品をつくっています。
文章を書いたり、ドローイング的なことも好きです。
1981年に京都と大阪の境で生まれ、12年東京に住んでからパリに在住。
2012年に写真集「空に泳ぐ」(リブロアルテ)を出版。
2019年には二番目の写真集として「指と星」(リブロアルテ)を出版
マイペースな時と締め切りに追われる繰り返しに平穏を感じています。

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