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当番ノート 第15期
ぼくは二十代の後半まで、まるで英語が話せなかった。これから英語で話す内容を頭で組み立てているうちに初歩的な文法や発音の間違えを人前でするのが恥ずかしくなったり、話すタイミングを失って話題は既に次のトピックに移っていたりして、英語を話す事、ということはまるで濁った川の底から無くした鍵を見つけ出す様に手探りをするかの様な心許ない事だった。 日本語以外の言葉を話す、という事はぼくに違う生き方が出来る事を…
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当番ノート 第15期
気づいたら東京地方も梅雨が明け、すっかり暑くなりました。 連載期間中に痛めた腰も少しずつ回復に向かっています。出張続きで干せなかった梅を、今週こそ見計らって干したい(これを土用干しといいます)ところです。 実は先日まで連載回数を全8回だと思っており、前回の「遊びをせんとや」で終わりにするつもりでした。では最終回はビデオダンス作って〆ようかなどという目論みはもろくも崩れ、あとがき的な雑文で後を濁して…
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当番ノート 第15期
新米に、触れる。 毎年、ドキドキします。 今年のお米はどうかな? 草みたいな味になってないかな? 水分量はたっぷりあるかな? 米粒が、大きいかな? 小さいかな? 新米を、食す。 これもまた、ドキドキします。 風味はいいかな? 弾力はあるかな? 割れ米はないかな? 毎年、最初の一口を食べる瞬間は、緊張します。 それが、これまでの田んぼ仕事の成果、すべてだから。 このお米を売りながら、一年間、家族が生…
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当番ノート 第15期
ぼく達の住んでいた家の一階には一人の女性が住んでいた。 引っ越して来て始めの数ヶ月は挨拶を交わす程度で距離を置いた付き合いだった。彼女の部屋の前を通るといつも開け放した窓からEva Cassidy やSting のFeilds of Gold の曲がそよ風がレースのカーテンを揺らしながら流れ出る様に聞こえて来た。クチナシとイチジクのキャンドルを燃やす香りがいつもそこはかとなく漂っていて、何かスピリ…
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当番ノート 第15期
先日、フラフープ仲間が「The Hooping Life」というドキュメンタリーフィルムの上映会を催してくれました。撮影されたのはもう5、6年前で、登場するのはフープダンス黎明期の立役者たち。現在もなお第一線で活躍するフーパーもいれば、すでに一線を退いて違うビジネスに乗り出している方も登場していました。 連載初回にも少し触れましたが、わたしが生涯の友と決めているフープダンスは、実は大変歴史の浅いも…
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当番ノート 第15期
ジリジリと照らす、強烈な陽射しの八月。 暑さとともに、お米のうまみも増してきます。 日ごと、稲穂の色も変わってゆく。 暑さに耐えながら、草とりの日々。 台風におののき、強風やゲリラ豪雨にあわてふためき、害虫発生時は困り果て。 気温が上がらぬ冷夏や、日照不足の時は、田んぼの神様にお願いするばかり。 風にそよぎ、黄金色に実った 稲穂たちが波打つ。 ちゃんと実ってくれたこと、今年も収穫できること。 ひた…
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当番ノート 第15期
Fair weather friends 〜直訳通りのお天気の良い時だけ都合良く遊びにくる友人家族がシドニーにカナダから遊びに来ていた。本当の友人はお天気の良い時も人生の嵐の最中、曇った日が続いてにっちもさっちも行かなくなった様な時も変わらずに側にいてくれるものだけれども、どの人がFair weather friendかと言う事 は自分を取り巻く環境が嵐に巻き込まれてみないとなかなか判別できない。…
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当番ノート 第15期
その日は新宿御苑の事務所にこもっていたところ、野暮用でついと外に出て、また事務所に戻る途中、花園小学校の脇で地震に遭遇しました。 横を走っていた車がぐにゃりとハンドルを切って停車し、おやと思った瞬間に電信柱が風になびくススキのように揺れ、往来を歩いていた人びとが一斉に目の前の花園小学校の校庭になだれ込んでいきました。校庭から見ず知らずの人々と肩を寄せ合いながら眺めていた、コンニャクのごとく揺れるビ…
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当番ノート 第15期
青々とした稲粒。 花を咲かせたあと、稲穂はどんどん栄養をたくわえて、実入りします。 八月初旬、田んぼは、一瞬、ぐっと静かになります。不思議なほど、しんとする。 しっかり実をつけるための時間。 農家は、淡々と、草をとって、水をみて、田んぼの世話をする。 写真をみると、波打つ緑は、とても涼やかなのですが、 実際、この時期の田んぼは、かなりハード。 ジリジリと照りつける陽射しと、脳が溶けるような暑さに、…
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当番ノート 第15期
パンパンに張った二個のスーツケースを引きずりたどり着いたシドニー。まるでそこはテーマパークに迷い込んでしまった様な感じがする不思議異空間だった。圧倒的な白人文化が街中に溢れかえっていたものの、そこはアメリカとも違う、イギリスでもない、カナダとも何かが違った。ハワイに似ているのだけど、何故かぼくは空気の中にそこはかとなく乾いた鉄の赤さびが朽ちてゆく気配をいつも感じた。そんな中で唯一の救いはオーストラ…
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当番ノート 第15期
覚えているのは14の夏、昼寝から目覚めた瞬間のこと。いまここで命を絶って、彼岸に渡らねばならない。衝動というよりも確信に満ちた思いで縊死の準備をしている最中に母が帰ってきて、その試みは頓挫しました。 以来つかずはなれず寄り添う希死念慮と共に生きてきました。 4年前を境にたもとを分かち、もうまみえることはないだろうと思っていたそれが、この春ふたたびわたしの元に帰ってきました。 今、それはだいぶ小さく…
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当番ノート 第15期
苗が、分けつを繰り返しながら育ち、稲葉になる。 そのなかに、葉っぱのような、茎のような部分ができます。 それが、葉鞘。 「はざや」の中に、ぎっしり詰まって、眠る稲粒たち。 7月の終わり~8月のはじめ頃になると、 稲は葉を増やすのをやめ、茎のなかで穂をつくりはじめ、 お米の入れ物である籾殻(もみがら)を形成します。 やがて穂は、葉鞘から生まれでるように、外へ出て行きます。 それが、出穂。 「しゅっ…
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当番ノート 第15期
それから一週間ほどの間、ぼくは彼と連絡を取ることを一切止めた。不機嫌な奥さんへの恐怖に翻弄される彼の姿を目の当たりにした後、”徹底的な習慣化してしまった奥さんの支配から解放されるために立ち向かうだけの肝っ玉、ガッツを彼は持ってるだろうか?”と何度も自問した。自分の真っ赤に煮えたぎった頭を冷やすためにも、彼から完全に離れた時間と空間がぼくには必要だった。その間にも彼からは一日に何通ものメールや留守番…
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当番ノート 第15期
2ヶ月の入居期間のうち半分が過ぎ、さて折り返し地点、最終地に向けて舵取らねばと思っている矢先に、ぎっくり腰にやられました。 フラフープ教室の先生でもあるのに。 しかも先週半ばにほぼ裸でのショウがあったためか風邪も引きまして。そして迎えた週末の現場は仙人が住んでいそうな山奥のキャンプ場で、この時期ですから雨降ったりやんだりで、間断無いくしゃみに激震の走る腰。 そんなこんなで東京帰ってきまして、先週の…
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当番ノート 第15期
六月の朝。 田んぼで、蜻蛉が羽化する。 羽根に、朝露。 一秒一秒、スローモーションのように広がる、世にも美しい羽根。 細胞からしたたるような、まばゆい水滴が乾くまで、彼は飛び立たない。 稲の葉を宿り木に、ガラス細工みたいな羽根を広げ、数時間、待つ。 息を止めて そっと近づき、自然が生み出した ‘宝石’ のような生物に見惚れる。 ちょうど、蜻蛉が生まれる頃、田に、草が生えてくる。 上の写真、手でつ…
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当番ノート 第15期
重たげな八重桜も咲き終わった五月の中頃、彼が箱根で学会があるからその帰りにどこかで待ち合わせをして旅館で温泉を楽しんでみないか、と言って来た。そういった恋人同士での温泉旅行など学生時代から今まで経験もしたことがなかったら、それこそ30代にして初めてのランデブーである。箱根湯本の駅で彼が現れるのを、次から次へと通り過ぎる人々の流れの中で踏みとどまる様にして待っている間も、人里離れた少し鄙びた山間を流…
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当番ノート 第15期
昨年の末頃、「 考える人」という季刊誌のインタビューを受けました。テーマは『日本の「はたらく」』。「今の仕事を天職だと思いますか?」と尋ねられ、天職なんてない、わたしはただただラッキーだっただけ、というような答えをしたかと記憶しています。 なすべきことをただなすだけ。先週のエントリーはわたしが直接見知らない方々のもとにも届いたようで、きっとその方たちもご自分がこれと思えるものに打ち込んでおられるだ…
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当番ノート 第15期
田植えが終わって、まず繁殖するのが、微生物と、緑藻です。 はなれて見ると、田んぼは、まるで水鏡のよう。 空が映って、美しい。 近づいて よく見ると、水の中では、ミジンコたち微生物が大発生。 微生物たちの動きは、とてもユーモラス。 飛んだり跳ねたり泳いだり。 意思があるよう。 彼らも、楽しそうに生きてるなぁ…と作業の手を止めて、見つめてしまう。 写真右下には、タニシやモノアラガイもいます。 農薬を控…
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当番ノート 第15期
ぼくが子供の頃、所謂上級国家公務員だった父と、その父の影にぴたっと寄り添う母、そして父の社会の中での安定した肩書きと地位に守られて綿雲の中にいるかの様にフンワリと心地良く、世の中の醜い場面を見ることなく守られたバブルの中で暮らしていた。当時の父には直属の部下が数多くいて、父の一声で皆が集まって来た。そしてその奥様達も母の元に慕って常に集って来る様な環境で、ぼくは世の中の仕組みがどうなっているのか、…
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当番ノート 第15期
フープとともに踊ることで外界と接続できる、前回わたしは自身の身体感覚についてそう書きました。しかもその外界とつながる手段を、さいわいにも生業とすることができています。 一生続けたいと思えることに喜びをもって取り組むことができ、それを社会に受け入れてもらえていて、決して豊かではないながら口に糊することができている。大変に幸運でありがたいことです。 しかし、わたしの仕事というのはやはり特殊で、ひとの生…
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当番ノート 第15期
五月、しっかり育った苗とともに、いよいよ田植えのとき。 うちでは、まず、田植え機という機械で植えていきます。 そのあと、人が田んぼに入り、植えたばかりの苗の間を歩きながら、手で植えていく。 苗が抜けてる所を補ったり、整えたり。 本数の少ないところに足したり、激しい雨風で流れた苗を拾ったり。 田んぼの中を、ひたすら歩きながら、じっと苗をみつめながら、手で植えていく。 それが、刺し苗。 七歳(小2)の…
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当番ノート 第15期
2003年の10月のある日、ぼくは会社の同僚と仕事帰りに東京駅近くの丸の内ビルヂングの中にある焼き鳥屋で、灰色のスーツと白のワイシャツを着た無個性な会社員達がとりとめもなく酒を飲み干しながら上司への愚痴や小言を繰り返しぼやいたり、というシチュエーションで飲みニケーション中だった。その当時のぼくはアメリカのボストンにある大学院でMBA(専門は国際銀行論)を取得して帰国後、再び何事もなかったように以前…
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当番ノート 第15期
手のひらの上に火のついたマッチが乗せられる。靴べらが折れるまで打たれた体は痛みなど感じなくなる。そんな風にしてわたしは育ちました。そして10代の終わりから10年ほど、現実を現実として認識することがひどく困難な病にさいなまれることになりました。 この連載のお話を伺ったときに真っ先に思い出したのは大学の、とあるゼミの選抜試験課題のことでした。「取るに足らない自分について語る」そんなようなものだったかと…
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当番ノート 第15期
お米農家のやまざきです。 今、この文字を打っているのは、農家に嫁いで10年のヨメです。 旦那といっしょに、農薬に頼らず、お米を育てています。 こどもも、ふたり、育てています。 茨城県の南西部、常総市というところで、無農薬・減農薬の米づくりをしてきました。 今まで、胸を張って、無農薬です。と言えていたものが、原発の事故によって、変わってしまいました。 収穫のたびに、念入りな検査を受けて「定量下限値1…
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当番ノート 第15期
ヨチヨチ歩きの子供の頃から植物や昆虫、動物と触れ合う事が大好きだった。人といるよりも自然の中で一人、命ある全てのものが見せる穏やかさ、静けさや時折垣間見せる生死をかけた荒々しさを、静寂な森の中で肌から、目から、呼吸から、そして流れ出る汗から感じ取るのが今でも好きである。今、私は40代半ば、そんなに長い人生を生きてきた訳ではないから、これから先の道はまだまだ長く、人生の道半ばなのかもしれないし、今、…
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当番ノート 第15期
「『いついかなるときも希望と喜びが傍らにありますように』という言葉が今も胸に残って生きているからです。」 2年前の春にわたしが放った言葉が思わぬ角度から返ってきた。そしてわたしはこのアパートメントに入居することを決めた。 みなさんこんにちは。フープダンサーのAYUMIといいます。 フープダンサーってなに。ただの踊るひとじゃないの。 はい、フラフープと一緒に踊るひとのことです。あまり、どころかまった…