スティーブ・ジョブズの伝記は、とても面白かった本のひとつだ。しかしこの本はただ彼の人が、素晴らしい会社を作り、新しい製品を生み出したから面白いというわけではない。彼の人が、様々な人と出会い、その中で成長していくそのあり方が面白い要因だろう。
彼は、大学時代にカリスマだったわけではなく、カリスマ的な人物から何かを学ぼうとした。あるいは、起業した後で、父親像を投影した人物からビジネスマインドを学んだ。
ジョブズがメンターと呼ぶべき人と出会った時には、学ぶというよりも、相手の長所を吸収してしまうといった接し方をしているように思えた。詳しくは実際に本を手にとって感じてもらいたいが、そういう学び方が学ぶことの本質を言い当てている気がする。
自分のことで申し訳ないが、僕は関東から関西にやってきた女性と付き合っている。当然、話す言葉は違ったし、その中でお互いが心を引っ張り合うというような経験をした。例えば、その心の引っ張り合いは、話す言葉に顕れた。
どちらがどちらの方言を話すということは、意識的なことではない。心が通うとは、そのまま文字通りで、その表出として、話し方がうつったのだと思う。
男女だから起きることではない。人と接する時間や相手との間に壁がなくなればなくなるほど、相手の言葉や考えに同化するし、相手も自分に同化する。心の距離は、計ることはできないが、人間同士が心から接すれば、自然とお互いに変化が起きるのだろう。
話をスティーブ・ジョブズに戻そう。思うに、彼の人は、自分が接したいと思う人と、心を通わせながら、その相手の持つものと同化していったのだろうということだ。深く対話し、様々なことを取り入れたのだ。
赤ん坊は、意識的に学ぶのではなく、父親、母親から様々なことを学ぶ。僕らが学ぶといつも言っていることは、とても意識的で、本来の学ぶということとは違うのかもしれない。本当の学びとは、心が同化するだけではなく、相手が磨きあげてきたその結晶のようなものを受けとることなのかもしれない。
僕らがスティーブ・ジョブズの伝記を読んで学ぶことができることのひとつは、優れた人と心を通わせることが、もしかしたら自分をもっと優れた存在へと導くかもしれないということだ。
信仰とは、そういう高みにある人から学びを得て、自分の中に生き方を取り入れることでもあるだろう。もちろん心はいつも高いところから低いところへ伝播していくとは限らない。でも本当は近しくなりたいと思う気持ちが、自己を他者に同化させるのだろうし、本当の愛が、あなたを愛する者へと近づけさせるのだ。スティーブ・ジョブズだってきっとそうだったに違いない。