Tycho(https://youtu.be/5wWBLbQInqk)の音楽をドライブしながら聴いていて、ふとした時に随分、世の中はずいぶん変化したんだなと思うことがあった。
僕は90年代の終わりに大学のサークルでバンドをやっていた。まだインターネットが普及しておらず、なかにはテクノ・ミュージックやダンス・ミュージックやHIP HOPの予兆みたいなものが、ちらほらとありながらも、多くの学生が聴いていた音楽は、オルタナティブ・ミュージックだった。
もちろん僕だって作り手のひとりとして、まったく新しい音楽を作り上げることができないかなんて、夜中じゅうギターを片手に試行錯誤していた。そして様々な音楽を聴いては、何が新しい音楽なんだろうということを真剣に考えていた。
その頃、聴いていた音楽なんてあっという間に時代遅れになってしまったし、20年、時代を先どりするセンスを持ち合わせている人間なんて、僕を含めてひとりもいなかった。どれほど音楽を聴いていたとしても、20年先の未来のことは、なかなか見通せるものではない。
でも、友だちが教えてくれたAphex twinや、たまたまヴァージン・レコード(昔、あったレコード店です)で見つけた竹村延和の”子どもと魔法”といった音楽は、当時としては、随分遠くをみていた音楽だと、後になって思った。そして、今となっては、そういうはるか遠くをみている音楽を探して、今も音を探していると思うことがある。90年代の終わりには、様々な音楽が溢れていて、その可能性の萌芽を教えてくれていたのだけれど、やっぱりそういう時代ってとても面白かったと思うからだ。
同じことはインターネットにも言うことができるかもしれない。少しコンピュータに詳しくて、プログラムを書ける人間なら、あの頃には可能性の萌芽が溢れていただろう。
今なら、そういう未来の可能性の萌芽は、apple watchやgoogle glassといったウェアラブルデバイスに集中しているのかもしれない。そして昔の僕と同じように、そういったデバイスの中にある可能性に、自分自身の未来を思う少年だってきっといるだろう。
90年代の終わりにあった萌芽は、やがてHIP HOPやTECHNOの大波となって、その頃の音楽を大抵、吹き飛ばし、そしてそれら自身も、インターネットの大波の前で息も絶え絶えになっている。音楽の聴き方が大きく変化してしまったからだ。
けれど、そんな中で、生き残った人々が、ふと美しい音楽を響かせ続けていて、この音の中に、きっと昔の僕の夢も溶けているのだろうと思う。
すべて瓦礫の山にすぎなかったとしても、最後に残ったものが、誰にも届く美しい音を響かせることには、そういう理由があるのだろう。