音楽は時代の夜の音なのだとよく言うけれど、それはあくまで僕がそういう生き方をしてきたからそう思うだけかもしれない。僕は京都で4年間、音楽をしていたし、曲を作っていたのは、大抵、夜だった。
人は、夜になると感覚が研ぎ澄まされるのかもしれない。でも、それはおそらく長い人類の歴史の中で、夜が、本当に暗闇で、その中で敵の存在に脅かされながら生きていた悲しい記憶が、身体に染みついているからだろうと思う。夜の暗闇の中で、その温かな眠りに入らずに、曲を作っていた頃の僕は、たぶん周囲の世界をどこかで味方だとは思っていなかったのかもしれない。
そういう緊張というのは、平坦な戦場と言われたりした僕らの時代を経て、次の若い世代は、ひょっとするともっと強く感じていることかもしれない。そういうことを考えていると、僕らの時代ですら、どこかまだ温かいものだったのだなと思う。
子どもたちがその暗いディスプレイの中で、兵士となって誰かを殺したりしている、そういう夜の過ごし方をしていると、僕の夜の夢は、なんて温かだったのだろうと思う。時にはその真夜中に見知らぬ誰かと手を繋ぐことだってできたのだから。
結局、僕の音楽という夜の世界は、その夜の世界でも、誰かを探し求めているという自分に気づくためのものだったように思うし、その夜の中に、昼間感じてきた不幸せな自分は消えてしまうような種類のことだったのかもしれないと思う。そして、音楽は、昼間聴いて問題がない、そういう音がいつしか自然になった。ひとりで聴くことはすっかりなくなったし、イヤフォンをすることもなくなった。
僕の家族は、これから増えていけばいいけれど、僕がヘッドホンをしなくてもすむように、僕の趣味に付き合ってもらうことになるだろう。僕もきっと、できるだけ、温かな音楽を選ぶだろう。
そして僕は子供たちに怒る代わりに、怒っている時は、再び、夜の音楽でも鳴らすのかもしれない。
僕の友人たちは、もうすっかり父や母になっているが、僕らの家庭ほど風変わりで、でも温かな家庭はないと言ってやるつもりだ。
僕らは平坦な戦場で戦っていたわけではなかったし、もちろん、友だちが何人か亡くなってしまったことは悲しいけれど、生き延びて、それぞれの夜を越えたのだということを語りたいからだ。
それがいつになるのかわからないけれど、いつか僕らは懐かしく目を細めて、また話すだろう。姿、形は変わって年老いても、心の奥には誰もがあの頃のことを抱えていることを僕は知っているから。
大変な時代になったと彼は言うかもしれない。太ったねと彼女は言うかもしれない。でも然るべき時には、きっと誰もが笑いあえるだろう。