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2F/当番ノート

私はなぜ、タダで執筆依頼を受けたのか

当番ノート 第20期

 東京から仙台へ向かう新幹線の中で、アパートメントのための文章を書く。テーマは「インターネット上に、無償で物を書くということ」。あるいは「私はなぜ、タダでこの執筆依頼を受けたのか?」といった自問自答である。

 読者の大半はご存じのことと思うが、この「アパートメント」は営利目的のメディアではない。「管理人」は持ち出しで活動を続け、それで何か金銭的に得をしているようには到底見えない。合間に広告が挟まれたり、続きを読むには課金が必要だったり、連載の書籍化が大前提だったりするような他の読み物メディアとは、そこが決定的に違う。

 私の知る限り、一番近いメディアは「同人誌」「ミニコミ」の類である。作り手が自分自身で印刷製本費用を負担して出版する刊行物。ほんの少しだけ値段を上乗せして頒布し、売り上げをまた次の本を出す費用へ充てる。けれど「アパートメント」は、紙の同人誌以上にまったくカネが動いていない。少々不安になるほど。

 「住人」たちはこの場所に一時的に現れては去っていく。その間、家賃を払うことはないし、後で報酬が返ってくることもない。ただ「入居」することで一時的に、この特別な場所の特別な住人になることができる。それだけ。

 表現の機会を与えてくれるならば、喜んで「アパートメント」の住人になる、という人も多いのだろう。この場所に何かを残したくて、みずから「売り込み」にくるアーティストも少なくないと想像する。ギャラなんか要らない、どうかここで、この場所で何かを表現させてほしい、自分で作ったサイトではどうしてもダメなんだ、と言う人たち。その気持ちはわかる。

 一方で私は、いくつかある生業の一つとしてプロの「文筆家」を名乗っている。この肩書は、各種媒体に執筆して原稿料を得て活動している者、という程度の意味である。書いたものが私の商品であり、それを売って生計の足しにするのだから、あちらで「商品」として扱うものを、こちらで無償提供するわけにはいかない。プロの外科医がタダで手術しない、プロのピアニストがタダで演奏しないのと同じことだ。

 アパートメントから入居のお誘いが来たとき、私はそのことについて考えていた。この誘いを受けるとき、私は原稿料の出る媒体と同じものを執筆して、彼らに提供することはできない。けれども、違うものなら提供できるかもしれない。

 たとえば、私はプロの文筆家だが、彫刻家や音楽家としてはズブの素人なので、彫像を彫ったり歌を歌ったりして渡すのはどうか。「そもそも私の腕前が見るからに無価値」な発表形態を選ぶということだ。あるいは、あちこちの出版社で断られたボツ企画を、この場で実現するのもいい。「よそで無価値と判断された」文章をここで試しに開陳してみるのは、面白い実験になるだろう。

 もう一つ思いついたのは、「物を書くことの対価」そのものについて書く、ということだった。クライアントのある場で堂々と書くには少々難儀なテーマであるし、といって、発表の機会がなければみずから語ることは滅多にない。おカネと無縁な場でなら、おカネについて書けるかもしれない。そう思って筆を執ることにした。

 外科医やピアニスト、あるいは文筆家が、時々、さまざまな理由と事情をもって、タダ同然で「本業」と同じような仕事を引き受けることがある。それはどんなときだろうか? と考えながら、しばしお付き合いいただきたい。

(つづく)

岡田 育

岡田 育

文筆家。1980年東京生まれ。著作に『ハジの多い人生』『嫁へ行くつもりじゃなかった』『天国飯と地獄耳』、共著に『オトコのカラダはキモチいい』。私は普通の人間です。

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