建築家・大江宏のノートに、「世界地図」、とくに地中海の輪郭と地勢を描いた図がある。それを掲載した、たしか2年ほど前の、法政大学建築学科内の研究者の有志が編集したパンフレットである(※1)。それがいま手元にある。実はこのパンフレットを見た瞬間、本当に手が震える程に強い衝撃を受けた記憶がある。
なぜそのことを今になって改めて考えているのかというと、最近ある書籍(※2)にてその図を再び目撃したからだ。「歴史意匠」「混在並存」という言葉をはじめとして、編集者は遺言とも言える大江宏の言葉を多数並べ、書籍の主題の基軸を形成させている。大江宏のその経験に裏づけられた歴史への感覚・触覚は、彼の建築作品の随所に噴出しており、その編者が意図するようにそうした歴史感覚の現代的必要性は極めて大きいと思う。しかし一方で、そうした言葉の数々が意味することは、ほぼすべからくして先述の大江が描いたノートの「世界地図」によって表わされていると言ってもよい。
先の、今手元にあるパンフレットには大江宏の生涯の年譜が記されている。明治の建築家である父・大江新太郎の影響下にあって東大の建築学科を卒業後、まもなくして設計した奈良・中宮寺の小さな厨子からはじまり、卒業設計作品を挟んで晩年の作品にいたるまでのそれらの意匠の数々は、言葉の介入も必要としないくらいの静かでかつ細妙な美学を纏っている。中でも特に細妙な、それでいて他の図面に比べてもこちらに迫ってくるかのような圧力ある凄みを感じさせるのが、国立能楽堂の一階の天井伏図である。広間の大きな格子グリッドを基点として、周囲に様々な大きさをもつ矩形の輪郭と微細で鋭角な幾何形状が入念に配置されている。明らかに能楽堂の外観の統合性とは別種の気質がそこには表れている。
大江宏の設計の肝はよく能楽堂の化粧屋根だとか、フレンド学園の校舎の列柱だとか、香川文化会館の内部架構を持ち出して語られることも多いが、構造の入れ子や、様式の複合の様が一挙に表現されていたのはこの「天井伏図」であったのかと強く感じる。そしてこの「天井伏図」が、大江宏のノートの「世界地図」にまさに重なるのである。つまり私には同じものとして見えた。思わず「あっ」と声を出してしまいながら、大江宏という、歴史を骨肉化させた創作者の息遣いと彼の創作行為そのものの深奥さが私の中に突き刺さってきたのであった。
大江宏の「世界地図」を何と形容すべきか。感じるのは、ザワザワ、ザラリザラリとした触覚のある歴史観である。大江宏は、そのように過去、歴史の大海の波の動きを読み(つまりは波を絶えず起こし)、天候を見極め、舵をきっていたのを改めてそのとき痛感した。
2015年6月9日
佐藤研吾
※1 『大江宏・考』法政大学工学部建築学科、2013
※2 『建築と日常 no.3-4合併号』編集発行・長島明夫、2015
編集後記に編者の興味深い文言があるので引用する。
「その保守性は、必ずしも一般に考えられているような、革新性と正確に二項対立をなすものではないように思う。・・・『保守と革新とが適度に混在した場』自体を保守する、そのようなものとしての保守性だと言えるのではないだろうか」