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2F/当番ノート

しるべばかり

当番ノート 第22期

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◆前回までのあらすじ
架空の姉に促され、わたしは春の大地震を回想する。すると回想のなかのわたしに「どうすればいい」と訊ねかけられる。そんなのわたしが訊きたい。どうすればいいんだ、よかったんだ! わたしはずっと怒り続けていたのだ、とおもう。なにを書いたって、過去を変えられるわけでもないのに!
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「それで、どうする」と架空の姉が言う。
 わたしと作中のわたし、架空の姉の三人はひとつの四角いテーブルを囲んでいる。テーブルにはメニュー表とお通しのミックスナッツ、三枚のコースターが並ぶ。
「お決まりですか」とバーテンダーさんが注文を取りにくるので、
「すみません、もう少し」とわたしがことわる。
 トーキョーに来てから20歳になったのでアルコールを飲むようになった。飲み会は好きにならなかったけど、冬の寒い日にひとりでポンジュースチューハイを飲んだり、すごい不機嫌なときに「これはヤケ酒!」と唱えながらウォッカを飲んだりするのは好き。あと、仲良しの数人でお気に入りのバーに繰り出すことも覚えた。もうだめ愚痴を言いまくりたいってときに友だちを呼びたし、バーで美味しいお酒を飲みながらにこにこ楽しい話をするだけで満足する。そして「会っただけで元気になっちゃったじゃん! そういうつもりじゃなかったのに!」ってなるようなことを好き。
 ここは渋谷にあるお気に入りのバーで、映画のタイトルを言えばその映画のイメージでカクテルを作ってくれる。短歌の友だちから教えてもらって通い出した。
「決まりました」と右手をあげてバーテンダーさんを呼ぶ。
「なんにしますか」
「アンダーグラウンドで」
「はい。アンダーグラウンド」
 エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』を初めて見たのは吉祥寺の爆音映画祭だった。姉とふたりで見に行った。登場人物たちがそろって踊るエンドロールを見ながらふたりとも泣きに泣き、ふらふらになって映画館を出た。
 カクテル「アンダーグラウンド」が運ばれてくる。グラスにたくさんのフルーツが刺さっていて豪華だ。
「どんな味?」と作中のわたしが訊ねる。
「シナモンみたいな味」とわたしが答える。
 地震が起きてからのできごとについてどうすればよかったか、どうすればいいかを考えるていると、「どうしてそのことについて書くのか」という疑問も当然のごと出てくる。わたしは繰り返しそれの答えを探すのだけれど、いつも「結局、書かずにはいられなかった」とおもう。書かずにはいられない気持ちに勝てなかった。このエッセイを書くまでの4年に、他にもいくつか同じできごとを語る文章を書いた。
「書かずにはいられなくて書いたけど、でも、それで怖いこともいくつもあって」。わたしはグラスからフルーツを外してゆきながら、作中のわたしと架空の姉に説明する。
 ひとつは、書いたことによってもしたくさんのひとを感動させるものを作れたとして、それはどういうことになるんだろう、ということ。
 わたしは「つらいできごとがひとを成長させる」と言うのが嫌いだ。「だからあなたがつらいできごとに遭ってしまったのは間違いではなかった」「あなたを成長させたつらいできごとにむしろ感謝しましょう」と言うことが。つらいできごとなんて、最初からないほうがいいはずだから。
「アンダーグラウンドは見た?」と作中のわたしに訊く。
「見てない」と作中のわたし。
「そうだった」
「でも、めちゃくちゃいい映画だっていうことは知っとる」。わたしがすでに見ているからだ。
 このめちゃくちゃいい映画は、ユーゴスラビアというひとつの国のできごと描いた映画だった。ユーゴスラビアに起きたできごとを、ほんとうと嘘を混ぜながら、おおむね明るく粗野に描いた映画。
「たとえば、ユーゴにめちゃくちゃな内戦があった、ということが、この映画を生んだのか、みたいにおもうと、最初どうすればいいかわからんなった」とわたしは言う。
「でも違った?」と架空の姉はドラゴンフルーツを気にしながら言う。架空の姉は架空だからグラスに触れられず、不満そうだ。
「違うかどうかはわからん。けど、でも、もし歴史にこの内戦がなくて、この映画が生まれなくてもかまわないっておもった。別に大丈夫だって。それでちょっとほっとしたわけ。そうだったときこの監督はその才能で、べつの傑作を作ってくれたかもしれないともおもう」
「なるほど」と架空の姉がうなずく。
「とりあえずの結論だけどね」
 わたしたち三人は、内戦のなかったバージョンのパラレルワールドで生まれる、べつの傑作にしばし思いを馳せる。
「その作品も、やっぱりほんとうにあったかなしいできごとを描くため生まれていたとしたら?」
「またべつのパラレルワールドを探す。それを繰り返す」
「なるほど」
 どの傑作を前にしても、わたしと姉は泣きながらふらふらになって映画館を出て、どうしようもなく回転寿司屋になだれ込むだろうとおもう。
「そして、地震なんかがもしなくても、他のいっさいのかなしいことがなくても、この文章のような文章は書かれ、わたしたちは出会うってわけね」といたずらっぽく架空の姉。
「どうだろうね」とわたしたちは笑い合う。
 アンダーグラウンドを飲み終わり、次の注文を考えなければならない。バーテンダーさんがわたしがひとり客であることにようやく気づき、首をかしげながら余りのコースター二つを下げる。
「じゃあ、他の怖かったこともきいてあげよう」と架空の姉が言う。
「次の注文はお決まりですか」と架空の姉の声をきこえないバーテンダーさんが、架空の姉の声に重なるように声を出す。

 続!

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かなしくて笑ふほかなき紺青の夜空 この世のわが絵空ごと
/藤井常世「絵空ごと」『〔同時代〕としての女性短歌』(1992年、河出書房新社)より

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アパート7

山中 千瀬

山中 千瀬

短歌を作ったりしています。夜に見た夢を日記に書くのが趣味です。

Reviewed by
小沼 理

過去を変えられない私たちは簡単に自分の心を書き換えようとする。しかも、それは嘘ではないというような顔で。でも「わたし」はそれを許さない。書くことの無力さを知っても、書くことから逃れられない。その折り合いのつけられなさが、「わたし」を怒らせ続けるのだと思う

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