1999年の春、
三浪二仮面浪人して、23歳で早稲田大学に入った目的は二つありました。
面白い人にあうことと、
夢を見つけることです。
僕は昔から漫画家になりたいと漠然と思っていたので、
漫画サークルに入ることにしました。
早稲田はとにかくサークル数が多く、1000以上あると言われているのですが、漫画サークルだけでも6つありました。
その中でも弘兼憲史や、やくみつるが出身で、有名な漫画研究会の新歓コンパに参加してみました。
コンパに行くと、10代の学生ばかりで、先輩達より年上の僕は浮いていました。
すると隣に座っていた、オカッパ頭で眼鏡をかけた、おとなしそうな新入生が、おずおずと話しかけてきたのです。
「漫画…何が好きですか?」
「水木しげるが好きですね」
「おお、僕は水木しげる原理主義者なんですよ!」
その水木しげる原理主義者のOという男と、僕は仲良くなりました。漫画研究会には入らなかったのですが、XYZマンガーズという奇妙な名前の、プロ作家をめざす学生が集まる、小さな漫画サークルに、一緒に入ることになりました。
Oの家は東西線の落合駅付近にあり、僕は彼の家に
しょっちゅう出入りして、漫画の話や恋愛の話をしました。
お互い口ばかりで、実際にはほとんど漫画を描いていませんでしたが、楽しい青春の日々でした。
ある時、Oが唯一完成させたという、2ページの
河童が出てくる漫画を見せてもらうと、
僕は心底驚きました。
絵もストーリーもコマ割りも完成されていたのです。
この男は、すぐにでもプロで通用すると思いました。
もう一人、映画好きで、エロ劇画を描きたいSという男とも仲良くなりました。
Sは、「宗教の勧誘でアパートを訪問した女性に、住んでいた童貞の男が、エロチックな妄想を抱く」漫画とか、「太古の時代にタイムスリップした女性が、恐竜の着ぐるみを着た男に襲われる」SFエロ漫画を描いていました。
彼は自分の作品をエロ劇画雑誌に持ち込んで見せていましたが、編集者からは厳しいことを言われていたようです。
しかし僕はSにも非凡な才能を感じ、三人でいつも飲んでいました。
「まんが道」の満賀道雄と才野茂のような気分に僕はなっていました。
漫画を描かず、酒ばかり飲んでいるまんが道ではありましたが。
僕が本気で漫画を描こうと決心したのは、
失恋がきっかけでした。
その女性が好きになり、僕は彼女に便箋で10枚の長い手紙を送りました。
自分の暗い浪人時代や、誰かを愛したい、誰かに愛されたいという想いを、切切と綴りました。
誰にも言わなかったのですが、彼女ならわかってくれるのではないかと思ってしまったのです。
そして海が見える公園で彼女に告白しました。
その時、彼女にこう言われました。
「わたし、加藤くんには話していなかったけど、
付き合っている人がいるの。
でも…彼氏がいなくても、
加藤くんとは付き合わなかったな」
「なんで?」
「教えてほしくなかった。加藤くんのこと、全部…」
その時やっと、
僕のどうしようもない想いは、他人に話しては駄目なんだと言うことに気づきました。
僕の想いは重すぎて、相手に負担になり、迷惑をかけてしまう。
この想いは漫画という作品にするしかない。
僕は自分のために描き始めました。
1年後、「手紙」という短編漫画を描きました。
「話すことができる死体と女性が同居して暮らす」という、
不思議な作品で、19歳のころ、人生に絶望していた頃の自分が生きる力を持てるような物語にしたいと思って、書き上げました。
あまりに絵が下手すぎて、Oには爆笑されましたが。
2001年の秋、経済的に厳しくなったことと、またもや別の女性に失恋して、精神的に不安定になってしまい、僕は早稲田を休学しようと思いました。
ところが、大学の事務所に相談に行くと、
一度中退しても7年以内なら、単位がそのままで
復学できる制度があると、教えてくれたのです。
休学なら休んでいる間も、授業料を半額払わなければならないのですが、正式に中退すれば復学するまで、お金はかかりません。
僕は中退して7年の間に、プロの漫画家になり、学費を払えるだけのお金をかせいで、早稲田にもどってこようという、無謀な計画を考えました。
それがどれだけ甘い考えであったか、すぐに痛感することになるのですが…
XYZマンガーズに同期は5人いましたが、全員、早稲田を中退してしまいました。
Oは後にプロの漫画家になり、彼の作品は、ドラマやアニメ、映画にもなりました。
Sはエロ漫画家にはなれませんでしたが、
映像作家として活躍しています。
他の2人はどうなったか、わかりません。
大学を卒業するという、正規の道を進まずに、自分の夢と一緒に、彼等は走っていってしまいました。
そして僕も早稲田を中退し、
漫画家になるという夢とともに、フリーターとして、現実の社会を歩んでいくことになるのです。
つづく