始まりがあれば、いつか終わりがやってくる。
3月31日。たくさんの人の何かが終わり、明日から何かしらの新しいが始まる。
出会いと別れ。始まりと終わり。
ニューヨークに来てから、驚くほどこの質問を投げかけられる。
「いつまでここにいるの?」
自分の中に決まった答えを持ち合わせてはいるものの、この質問をされる度に考える。私はいつまでここにいるのだろう。いつまでここにいれるのだろう。外国人として国籍とは違う国で生きていくというのは、実際問題、なかなか色々ある。街に溢れる人たちが、ここにいる理由はきっと様々だ。ここで暮らしたい人、暮らしたくても帰らざるをえない人、夢を叶えたい人、ただここにいたい人、国に帰れない人、この街で生まれた人。今日もまた新しい誰かと、初めましてと会話を交わし、国へ帰るという誰かと別れのハグをする。出会いも別れも多い街だ。いつかまた会えたらと思いながら、もう二度と会えない可能性のほうが高いだろうなと、寂しくなったりすることもある。
私は「さようなら」という言葉が好きではない。小学生の時、大好きだった先生が転任することになった。先生は離任式でのスピーチの最後にこう言った。
「さようなら」
もう先生に一生会えないような気がして、自分でも驚くぐらい悲しかった。なんで先生はそんなにも悲しい言葉を口にするのだろうと、勝手に傷ついた。それ以来、本当の別れの時以外は、自らはその言葉を口にしなくなった。バイバイ、ぐらいが私にはちょうどいい。
このアパートメントに入居してから2ヶ月が経った。これが私にとって最後の回となる。早かった。が、同時に長かった。毎週何を書こうかと、カフェで何杯もコーヒーを飲み、その味すらもよくわからなくなるまでパソコンと、そして自分と向き合った。回を重ねるごとに、たくさんの反応をもらった。近くの誰かからも、それまで知らなかった誰かからも。お酒が弱い私が、ビールを何杯も飲み、酔っぱらったあげく、深夜のバーで友人に熱く何かを語り始めるような、ある種のどうでもいい話、けれど私にとっては酔わずには話せないような事柄をたくさん書いたように思う。だからこそ、読んだよーと言われると嬉しいような、恥ずかしいような気持ちにもなったわけなのだけれども、どれもこれもなかなか面白い時間だった。
アパートメントで書かないかと話をくれた管理人の鈴木悠平くんとの出会いがどんなだったか、もはや思い出せないでいる。いつ、どこで、何をきっかけに、彼と出会ったのか。私はほんとうに記憶力がなくて、色々なことを忘れてしまいがちなのだけれど、そんなことより、彼が私を思い出し、話をくれたという今を大事にしたい。これで大丈夫かなーといちいち心配する私に、するっと一言くれたりする、この距離感がすべてのように思う。日本にいるときも、そんなに頻繁に会ったり連絡をとる仲ではなかったけれど、人との関係は、出会ってからの期間とか、遊んだ回数とか、そういうことでは測りしれないものがある。
今日もまた、近々日本に帰るという友人と時間を共にした。春のはじまりのような海を見た後、美味しいと噂のフィッシュタコスを食べ、ブルックリンらしいビアホールで1杯飲んだ。タイムリミットは、時に人を素直に、自由にさせる。限りがあるということは、残された時間により深い意味を持たせる。私たちは魔法にでもかかったように、ほんとうに何気なく、大した話を、大した話でもなさそうに話した。
2ヶ月間お付き合いくださったみなさま、管理人のみなさま、そしてレビューを書いてくれた小沼さん、ありがとうございました。私の色々を出しつくしてしまった感があるので、しばらくこのアパートメントから出て、どこかでもっといろいろな人生を重ねようと思います。ふと何か懐かしくなった時に戻ってこれるように、このアパートメントがいつまでも誰かの大事な場所でありますように。