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2F/当番ノート

大好きな、熊本。

当番ノート 第26期

OI002363あたりまえに大切にしてた日常がある。

たからさがし。では、繰り返す日々でも、そこにしかない”たから”や誰かの大切なものを見つけて、繋げて、活動してきた。
どこに行っても、感動するものはたくさんあって
でも、だからこそ、私たちの始まりの場所、熊本の良さは何度も実感してきた。

大好きで、心地よくて、キラキラしてる、わたしたちの大切な場所。

熊本地震から2週間がたった。

2週間よりもっと前からこの地震のなかにいる気がする。
地震がなかった頃が、なんだかすごく前のことみたい。

1回目の地震は職場の飲み会だった。
揺れた瞬間のことは覚えてない。

みんなが「あっ」って気づいた瞬間にあちこちで鳴り出した緊急地震速報。
頭のなかでは「きっとすぐおさまる」という焦りと、どうしたらいいか分からない混乱で動けなかった。

左右に揺すぶられて、長くて、立てないくらいで、目の前の人たちが手を頭に置いてて揺られてるのが目にはいった。

「こんな地震熊本でなかなかないよ」
「こんな大きなやつがくるなんて、なんかおかしい」
みんな口々に焦りながら、携帯で電話をかける。
すぐにつけられた店のテレビ。

震度7の速報の文字に、意味がわからなかった。

なにが起きてるか、信じられなかった。

この日の夜は家まで帰れず、職場の先輩の家に泊まらせてもらった。
何度も大きく揺れて、何度も緊急地震速報が大きく鳴る。
不安で、怖くてしかたがなかった。
何がどうなって、どう壊れてしまうかわからなかった。
ほとんど寝れなかった。

市役所に勤める私は、次の日いつも通り出勤した。
そこまで変わったことはなかったし、被害状況を問う電話はたびたび鳴るけれど、そこまでたいしたことはないと思った。
台風のときのほうが被害も電話もひどかった。

そしてその日の夜、1時半。

時計が落ちてきたのと、携帯の緊急アラームがなったのと、お母さんが何か叫びながらドアを開けてきたので、飛び起きた。

目の前にモノが落ちてく。
可愛く飾ってたお気に入りの棚も、大切な友達との思い出の写真も、旅先でゲットした小物たちも、下に落ちていた。

色んなものが重なって、何が割れていて、何が散らばっているかもわからなかった。
それでも視界はまだぐらついた。

「何で?!」っていう動揺と、「こうやって大きな地震はくるんだ」っていうどこか冷静な自分の声。

14日より、もっと大きな揺れが熊本を襲ったのがわかった。

突き上げるようにドンと揺れて、そのあとは横に揺れる。
そして最後は円上にまわっていく。

テレビをつけても、こわいねって言っても、また揺れる。
ふぅって一息ついても、また揺れる。

とにかく避難できるように家族で荷物をいそいでまとめた。
パジャマから着替えて、ちょっとパニックになりながらもバックに詰めていく。
部屋のなかは色んなものが散乱していたけど、どうでもよかった。
せめて3日はこの荷物だけで生きてくために、バタバタと家を駆け回った。

これまで書いてきた日記やアイディアノート、もらった手紙や写真やプレゼント、本、アルバム、旅の思い出グッズ、洋服、カメラ、アクセサリー、化粧品、スキンケア用品、メガネ、コンタクト、生理用品、マスク、水、充電器、懐中電灯、通帳、袋。。

大切なものや自分のためにしてきたことはたくさんあるはずなのに、自分にとって何が大切なものかわからなかった。
もう二度と、触れられないかもしれない、家には戻れないかもしれないなんて冷静に思いながら、荷物に積めるものを選んだ。
ほんとうに生活用品以外のモノなんてどうでもよくて、どうでもいいことに泣いてしまいそうで、ただ考えてたのは明日も明後日も生きていけるようにすること。

不安だけど向き合うしかなくて、意外とシャンとしてた私には職場から電話がかかった。
震度6強で、職員は全員出勤。

余震がつづいて、携帯の緊急アラームが鳴るなか、わたしは一人で家を出た。
道はどうもなってなかったけど、 家族と離れることも不安で心配だったし、ここでさっきみたいな大きな地震がおきたら私には自分を守れる強さなんてないと思った。

車で向かいながらも、なにがおきてるか実感がわかなかった。

自分の命と家族の命が大事ってことだけを感じてた。

職場についてからは、みんなと会えたことに少し安心して、電話の対応や避難所の状況確認。

SNSや直接の連絡で流れる友達の無事のお知らせ、熊本城や阿蘇大橋の崩壊のニュース、熊本市や益城での混乱、続く余震。

だんだん気持ち悪くなっていった。
明日も明後日もどうなるかわかんない。
これがいつまで続くか分からないのがストレスだった。

電話対応に追われて、「がんばってる!大丈夫!」って上司にニコッとして言われたとき、なんだか泣きそうになった。

市役所で動きながらも、何回も実感したことは、大切な人と笑えるって幸せなことなんだってこと。

好きなもの食べて、トイレにも行けて、よく眠れて、明日も、一時間後さえも、生きてることを信じれるって幸せなことなんだ。
たからさがし。を通して出会ったたくさんの人からも連絡がきた。
心配のメッセージや、はげましの言葉。
ほんとうに嬉しかった。心強かった。
わたしにはこの人たちがいるんだって知った。
繋がりのありがたさを感じた。
自分が守られてるって感じた。

熊本が被災した。その事実がズドンと重くのしかかる。ショックだった。

こんなに熊本が好きだったんだって実感した。

あれから毎日夕日はきれいで、星も月もきれいに見えることに変わりはない。

変わらない夕日と、行き交う人の多さと、ふっとよぎる変わりすぎた熊本の被災地。

日常と非日常が頭のなかで浮かんでは消える。

わたしに、なにができるんだろう?

こんな問いを何回も繰り返しては、不安と焦りでいっぱいになった。
きっと、熊本から離れてたり、何かしたいけどできなかったりで、同じようにもどかしい気持ちになった人はたくさんいると思う。

今すぐじゃなくていい。
自分にできることを見つけたらいい。
自分や大切な人を守ってたらいい。

困ってる人を助けるために行動できることも大切だけど、なにより、震災で困ってる人たちがいることを、意識して自分を生きることが大切なんだと思う。

わたしがわたしを守れなかったら、悲しむ人はたくさんいる。
あなたがあなたを守れなかったら、悲しむ人はたくさんいる。

できることが今見つけられない人は、自分から日常をはじめよう。
いつもみたいに過ごして、どうでもいいことで笑おう。

たからさがし。をしてきて、日常を大切にできてるって思ってたけど、そうでもなかったことがこの地震で分かった。

わたしは、明日の日常が当たり前にくると思ってたみたい。

大切にすることが当たり前で、大切にできることも当たり前だった。
平穏な日々を大切にしつづけられると思ってた。

熊本城も阿蘇も商店街も大自然も、熊本の大好きな場所はいつだってそこにあって、いつだって”たから”はそこで見つけられると思ってた。

ショックで、悲しかったけれど。

わたしたちには今まで見つけてきた”たから”と、これをきっかけに見つけられる”たから”がある。
人と同じように、自然は変化していくし、生きている。

地震で壊れたものは、ひとつずつみんなで直していけばいい。

傷ついた心も、なくなった大切な場所も、変わってしまった思い出の景色も、みんなで大切にしてればいい。

力合わせて、さらに素敵な熊本にしていくといい。
もっと大好きになれる熊本で、ぜったいにまたみんなで心から笑える。

わたしたち、たからさがし。にできることを模索しながらも、今ははやく余震がおさまることを祈る毎日。

まいまいが前回書いてくれたように、
何でもないことでくしゃっと笑える私たちの良さだけは、今こそ、一番大切にしていたい。

(たからさがし。吉永 早佑梨)

たからさがし。

たからさがし。

熊本・鹿児島在住。田舎のOL2人。
何度も飛び出したヒッチハイクの旅でも。繰り返している日々のなかでも。
変わらずそこにある地域の「たから」を見つけて旅をするわたしたち。
一緒に「たから」を見つけましょう。どこへでも、呼んでください。

Reviewed by
kanako_mizojiri

山地を旅していると、川の氾濫や土砂崩れ、地震などの災害で村ごとなくなったところを通ることがある。さら地もあれば、半壊した建物だけが点々と取り残されている寂しい村跡もあった。被害を逃れた人たちが移転して新しく作った村に泊めてもらったこともある。失われた場所のことについて私から尋ねることは今までほとんどなかった。言葉の壁もあったけれど、それは住まいがある日突然奪われるということが他人ごとに感じられたからかもしれない。 どこへ出かけても、いつもの駅に戻ってくると、”あぁ、無事に帰ってこれた。明日からはいつもの日常が続くんだ” って安心してきた。いつもの日常があまり前に来る保証なんて本当は無いのに。


「たからさがし。」の二人のはじまりの場所で、心地よくて、キラキラしたものがたくさん詰まった大好きな熊本が被災した。震災のただ中にいる吉永さんが、あの日からの熊本のことを綴ってくれている。

たからさがし。のふたりが今までに見つけた思い出の景色や大切な場所、宝物たちのことを、これからたくさん聞かせて欲しい。

なかには震災前と同じ姿を見ることのできない場所もあるだろうけれど、吉永さんが言うように、これから力を合わせてさらに素敵な熊本を作れたらいい。

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